「ナイフの矛先」
則光は二日続けて妙な夢を見た。
一日目の夢はナイフを逆手に持ち、左手を突き刺していた夢。
二日目の夢は目の前の男がナイフを持って、今にも刺そうと殺気立っている夢だった。
夢の中では痛みは感じない。起き上がっても、自分の部屋だということがわかって、冷静でいられたが、さすがに二日続けてはいい感じがしない。
クラブの仕事を終えて、ノワールに深夜二時ごろ着く。
「ノリさん昨日どうだったんですか?」
色々なことに鎌をかけて聞いてくる今城を軽くいなしながら厨房に入り、左手を見つめ、それから右手を見つめる。
「ノリさん何やってるんすか?」
今城が不思議そうな顔をして聞いてくるが、自分でも何をしているんだろうと則光は感じ、心の中に落ちている妙な意識を振り払って言う。
「今日はビールでも飲みたいな」
「いや、それいつもっすから」
そう言って、へっへっへ、と今城が笑う。
グラスにビールをついで、お客のいない店内でカウンターに座り、ビールを飲む。
二日目の夢の男の瞳が頭をよぎり、則光は頭の後ろを左手で二度叩く。
そういえば、夢の中の男が言っていた。
「てめえ!かっさばいてやる!」
魚じゃねえんだよ、と則光は思ってビールにまた口をつけた。
夢の中の男の目が忘れられない。妙な親近感があった。昔、あんな目をしていたような気がする、と感じた。
さばく。夢の中の男が言ったのも、則光が料理人として素材をさばくことも、どちらも命を扱う。
「ルビーの指輪聞きてえな」
則光が言うと、「好きっすね」と今城がかける。
曲が流れ、寺尾聰の声で歌詞が流れてくる。
「これ、ホントかっこいいよな」
歌詞を聴きながら則光は昔のことを思い出していた。
腕を思う存分ふるいたい。ふるえる環境にいたい。常に則光の心にはその衝動が渦巻いている。
エレベーターの音が鳴り、客が入ってくる。
いつもの女性の常連客だった。
「いらっしゃい」
則光が気がついて声をかける。
女性客は袋の中からパイナップルを出してきて、「もらいものだけど、一人で食べきれないからあげる」とカウンターに置いた。
「これうまくカッティングしてやるか?」
パイナップルを見て、体がうずいてきた則光は、思わず言った。料理人としての仕事をしたい。
「うん。お願い」
女性客の言葉に「まかしとけ」とパイナップルを持って厨房に入る。
ナイフを手に持ったとき、いつもは感じない妙な感触が走る。夢の中の男の目を思い出す。嫌な夢を見たものだと思った。
パイナップルを、さばく。ナイフの使い方ひとつで、人を喜ばせることができる。ナイフをパイナップルに巧みに入れていく。果肉を彫刻でも彫るようにして切り分け、形を整える。水がうねるような感じをイメージして皮を細長く伸ばして軽く巻きながら皿の周りをセッティングする。果肉は細長く切ったものと長方形に切ったものを飾っていく。花火のように、水のしぶきのように。巻いた皮の中から細長い果肉が出ていたり、皮の周りに長方形に切ったものをしぶきをイメージして重ねていく。
ようやく完成したものを女性客に出す。
女性客よりも先に今城が叫ぶ。
「うお!ノリさんすげー!これどうやったんすか?」
女性客も「すごーい」と感動している。
「簡単だってこんなの」
目の前で喜んで褒めてくれると、則光も少し恥ずかしくなってきて「ビール飲むわ」とグラスに注いで飲んだ。必死の照れ隠しだ。
ビールを口にしながらふと左手を見る。もちろんなんともない。今度は妙な違和感があった右手を見る。両手とも人を喜ばすためにある手だ。大事に使わなければいけない。
夢の中の男を則光は思った。
孤独な目をしていた。もう一度会ったらなんて言うんだ。「お腹すいてないか?なんかおいしいもん作っちゃる」なんて言うのだろうか。ガラじゃねえな、と則光は思っていた。
「ノリさんってちゃんと料理人だったんだね」
女性客の突っ込みに「最初からそうだっての」とおどけて答える則光は笑みを少し隠しながらビールを飲んだ。
腕を見せる。喜んでもらう。張り合いがなくちゃあな。
そう思う則光が握るナイフの矛先には、いつも幸せがある。
[1回]
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