最初に注意として以下の文章は「コミュニケーション空間の育成と人間力」に力点を置いて書いていきます。
「会社と資本」の話が出ますが「経済における会社と資本の役割」とをごっちゃにして考えると間違えますので絶対になさらないようにお願いします。
そして、札幌市政についての提言でもありますので、他の都市の場合はうまくその都市に見合ったものに応用してください。
去年NHKスペシャル番組「無縁社会」の札幌座談会に参加してきました。
「無縁」ということを受けて前々から「都市機能」「都市」とは何かと考えておりましたが、では「都市」になる前の日本人のコミュニティーとは何であったのかという疑問が浮かび、少し民俗学を調べてみたのですが、やはり「村」という単位が最も日本人の根深いコミュニケーション組織なのではないかと考えています。
「無縁社会」というのは、ご覧になられた方も多いと思いますが、都市において、またはそうでなくとも家族や親族がいるにも関わらず「直送(葬式などがなく火葬場まですぐに行って焼かれる)」が多く、遺骨も引き取り手がなく無縁仏になってしまう人の実態を調べたドキュメンタリーでした。
そこに至るまで地縁を失い会社の縁もなく親族の縁もなく肉親の縁も失うというすさまじいものでした。
このような事態を防ぐために我々はどのように行動していけばよいのか。
そのヒントを模索している番組ではありますが、どうやら「無縁」へと至るケースも様々あり、細かく調べた上でカテゴリー分けしないと、とてもではないけれど見えてくる問題ではないと思いました。
それだけ「見えない問題」、これはまさに「心のあり方」の問題にも関わってくることでしょうが、結局は「個人のあり方」にまでメスを入れなければならなくなってきています。
そこで問題になるのは「どうして人の縁が希薄になり、孤立化へと向かってしまうのか」という点です。
ここでは「村」と「都市」の差異を考えたいと思います。
まず大きく上げられる点として「都市機能そのものにコミュニティー組織を解体していく機能がある」と考えています。
1、都市には人的流動性の高さによりコミュニティー意識が育ちにくく、独自の風土が育ちにくい。
2、サービスの多様化・利便性の追及が常になされるため、特に自分で積極的に参加しなくても「誰かがやってくれる」という意識が育ちやすい。
3、技術・知恵の伝承は主に「人」から「会社」という組織に変化している。
4、情報網、情報内容の量の多さと断片化により、スムーズな情報サービスが行き届かなくなる。
5、都市における「お金」と「人」。
6、継承(交流)の断絶による個人の価値観の硬化。
蛇足、水資源の保護。
1、都市には人的流動性の高さによりコミュニティー意識が育ちにくく、独自の風土が育ちにくい。
「村」という組織は隣に誰が住んでいるかもわかるような場所です。
それだけに人付き合いが大変という側面もありますが、「隣人が何者であるか」という認識・安心感が育ちやすい。
これに対し「都市」は人的流動性が高く、土地に対する意識やコミュニティーに対する意識が希薄で、なかなか参加しづらい。
ある本の中に「子供が迷子になった時、土地のものは懸命に探したが、他所から来た人は来たもの同士あれこれと噂話をするだけで捜索には参加しなかった」という記述があります。
特に村ではなくとも、来たすぐの人、札幌でもよくあることですが「引っ越してきた人は除雪に参加しない」という苦情があったりします。
これは隣人をコミュニティーの一員と捉えずに「他人」として捉えているからにほかなりません。
また都会には新聞紙などのニュースが伝える事件、悪意のある他人の介在により、隣人を警戒しているし、また2の影響により深くかかわらなくても生活していけます。
元々社会的な力というのは「お金」というものに目が行きがちですが、「歴史性」にあると私は考えています。
そういう意味では土地の歴史の源は人にあり、人が人に伝えるからこそ、本来の底力が保たれるものと考えるのです。
失業率の問題もありましたが、求人する側もされる側も人や職を選んでいるという側面があります。
隣人を大事に思えない風土では職業観も育ちにくく、相談する人間も似たような年の人間になることが多いため、世代を超えた交流がなされず、各々の心情や意図すらも疎通できない状態が続くと考えています。
世代間の価値観の差というのは、古今東西、そして未来永劫尽きない問題ではありますが、この世代間の情報交換をいかにスムーズにするのか、という点は健全なコミュニティー作りには欠かせない要素となります。
そして2050年には直面する老人の割合が国民の4割を超えるという事態を考慮しても、今からこの問題に取り組まなければ将来の憂いを残すことになります。
2、サービスの多様化・利便性の追及が常になされるため、特に自分で積極的に参加しなくても「誰かがやってくれる」という意識が育ちやすい。
都会は便利であるばかりではなく、資本主義で動いているため、「稼げないサービス」は廃れる傾向にありますが、個人に対するサービスが特化していくことによって「集団」を個々へと分断化していくという作用もあると考えています。
これにより、地域への参加意識が薄れ、個人は独自の趣味に特化した生活をすることができ、極めて個人的な生活をしてもなんら差しさわりがない状態があります。
無論これ自体が悪いことではなく、こういった個人の嗜好は尊重されるべきであり、これこそ都会の都会たるゆえんではありますが、個々に分断化された後の再結合が追いついていない状況も指摘できると思います。
再結合の作用は民間の会社や、ボランティア、現在はソーシャルネットワーキングなどによるインターネットでの出会いなど多様化しておりますが、新しいシステムを考えるにあたり、そのサービスが個人に特化すればするほど集団を個々に分断していくマイナス面の補助を考えなければならないと考えます。
仕事をし、生活も多様化し、疲れ、そしてなぜ稼ぎもできないボランティアに参加しなければならないのかと考える人も少なくはないと思いますが、自分の生活が保障されるのは「お金」を持っている時のみに限ります。
「お金」が途絶えると最低限の生活も保障されない。
隣の家に言って「米がないから譲ってくれないか」などという相談は一切できないし、「お金」が途絶えたときの底辺サポートが見つからない。
もしコミュニティー機能が高まっていけば、「底辺の受け皿」も自然と話題に上がり、徐々に整備されていくと考えています。
3、技術・知恵の伝承は主に「人」から「会社」という組織に変化している。
「村」という社会では、老人から親、親から子供、子供から孫という記憶の継承がありました。
この記憶の継承は知識や知恵を伝道する上でも非常に重要な意味を持ち、さらに重要なのは世代を超えてのコミュニケーション形成にも一役買っていたことは容易に想像できます。
この世代を超えての継承が徐々にすくなくなり、伝統芸能や、職人技術の継承危機問題にも見られるように、「稼げない」知恵の伝道が「無価値なもの」として扱われ、断絶されようとしています。
つまり「資本による価値」こそ大事であって、そうではないものは容赦なく淘汰される傾向にあります。
現在「会社」という組織が資本の力を借りて、独自の知識を積み上げてはいますが、これも資本の影響を受けます。
時代が変われば資本の質も変わる。
常に安定した継承は期待できず世界の経済の影響を都市はもろに受けながら、その軸を変えていく。
この軸が変わるたびに人々が大きく振り回される社会よりも、やはり独自の根を持ちながら発信していく都市のほうがより理想であるとは思いますが、いかにその「根」を長く土に張っていくかというヒントが、もうあります。
幸いにも私の住んでいる札幌市では大通公園で様々な職の祭典がなされていますし、植物の祭典も時折やります。
私は北海道をひとつの独立した国家のように捉え、そして地域づくりをしていくべきなのではないかと考えている人間ですが、大通り公園でやっているような地方の特産品や郷土料理を紹介するような地元の力というのを都市の利便性を利用してもっと盛り上げていくべきだと考えるのです。
その上でそこに参加できる人はどんどん参加していく。
未来を作るヒントは「共に楽しむ」「共楽」という考え方が大事だと考えていますが、「楽を分かち合う」ことを通しながら都市に住まう人々の参加協力をどんどん促進し、その時間を人々が共有していくことにより、世代間の交流も自然と深まります。
つまりは「成功体験を与え、それを共有する空間演出」が資本の流れによっても変化しない軸作りへの大事な橋かけのひとつになると考えます。
4、情報網、情報内容の量の多さと断片化により、スムーズな情報サービスが行き届かなくなる。
これから都市化やグローバル化がさらに進み、都市への世界の影響が強まると同時に、情報量も莫大になります。
様々なサービスが乱立し、必要な支援を行うNPO法人や行政サービスなどの増大により、個々が独自に情報を発信し、そしてそれらがあまりの情報の多さによって埋もれ、必要な情報サービスを探すことが困難になります。
今もすでに起こっている情報量の多さによる情報享受の弱さは、これからますます加速し、受け手を混乱させていくことが予想されます。
この混乱を防ぐためにも地域の情報を発信する中継ポイントや、情報サイトの共有が必要となります。
情報の仕分けはカテゴリー、地域ごとに分類され、それらが情報ごとにトピックスとしてあるのではなく、関連情報が一気に閲覧できるマインドマップのような、情報と情報をツリー形式でまとめる「(言語をよりビジュアルとして認識する)視覚化」された情報整備が必要になります。
情報の視覚化については、まだやっているところがなく、大学の研究結果などを元に実験的に配備していく必要性があるでしょうが、連動型情報、つまりは「行政 支援 生活」と検索を打つ前に、次の単語を連動して先に提示する検索結果、そして個別の事例による逆引きなど、検索システムもより高性能にする必要があります。
また、ネット知識のない人をカバーするために、極めてローカルな、たとえば小学校がくくっている範囲程度の狭い地域で発行している地域新聞を活性化し、組織化することも大事です。
これらのミニコミ誌などをフリーペーパー化することによって行政情報と地域情報、非営利法人情報、個人活動などを支援し、より地域に根ざした情報発信が地域の人たちに伝わるように整備すれば、公民館などの施設も充分その役割を強化できることに繋がっていくと思います。
5、都市における「お金」と「人」。
都市の潤滑油は当然お金ではありますが、観光都市としての魅力は「経済都市」という点にはないことは言うまでもないことです。
その地域にしか見られない、感じられない「地域性」を体感しにくるのが観光客です。
極端ではありますが、どれだけ潤ってようとビジネスマンしかいない都市、市民に必要なものしか売ってない都市ならば、誰も訪れようとはしませんし、お金が稼げるからといって、そればかりでは一度来ただけで、もういいやと思うものです。
私事で恐縮ですが、道外から来た友人がJRタワー展望台エレベーター前に販売している小さなコーナーで雪の結晶の紙石鹸を購入したのですが、正直札幌市がこのような活動を支援しているのは知りませんでした。
女の子は高くても、かわいくて斬新なものに惹かれるようです。
http://www.city.sapporo.jp/keizai/sapporo-style/hatsuyuki.html
どこかで読んだ話では、知的障碍者の方が紙で作った電気スタンドを作っているようなのですが、その商品は少々お高め。
知的障碍者の方が作ったとはどこにも明記しておらず、普通に展示していても買っていく人たちがいる。
こういう活動はどんどん途切れさせずに支援していくべきです。
また、札幌には現在二大祭りがあります。
よさこいと雪祭り。
その他にも小さな催しがありますが、札幌市には市民が積極的にこれらの活動をしようという意気込みが潜在的にあるような気がいたします。
地域に眠っている力は何なのか、それらを掘り起こすためには「きっかけ」となるものをどんどん整備していくことが肝心です。
また地域の力を活性化し、より参加しやすい状態、交流しやすい状態を作り出し、その交流の中で世代を超えた交流により人間力を養うには、情報を受け取りやすい状態を常に維持し、市民が自ら情報発信する土台を整備する必要があります。
「必要は発明の母」と言いますが、まさにこの「必要は何か」を集めることが、結果的には経済活動を促す引き金にもなります。
6、継承(交流)の断絶による個人の価値観の硬化。
都市の利便性がどんどん加速し、ネット上でもあらゆるサービスが多様化していきます。
情報も個人が欲しいものしか受け取りませんし、お金さえあれば人とあまり関わらなくてもよい暮らしが保障されますが、人間は孤独には勝てないものです。
家から出ずに体験しない状態が続けば、想像力が失われ、頭の中だけで物事を判断する人が出てきます。
これは極端な例でもなんでもないのですが、食物の「腐敗現象」を理解できない人がいます。
電球の替え方がわからない人がいます。
冷凍ピザをどのようにして食べればよいのかわからない人がいます。
自分と価値観の違う人間がいたり、自分の住んでいる環境とは違う環境があることを理解できない人がいます。
都市にあまりにも長く住んで他のものと交流しないあまり、自然現象がわからない人がいます。
そういうのは食品や電化製品の「説明書」でも顕著に出ています。
わざとではなく、いい大人が本当にわからなくて電話をしてくるのです。
世代間の交流や知識の伝承・交流が失われると、想像力の欠乏により、さらに悪化した状態が待っています。
そして、人間は思考が硬化すると、なかなか軟化させるのに手間がかかりますし時間もかかります。
一生直す必要に迫られない人がいます。
これらは個人のレベルではありますが、いわゆる閉鎖された村のような価値観が個人そのものに起こり、その閉鎖された個人は異種のものを攻撃するか、ひたすら閉鎖性を保つかのどちらかになります。
都市は常に利便性を追求していきます。
そして個人の価値観も多様化し、よりカスタマイズ性の高いものになっていきます。
ゆえに個人の生活さえ保障されていれば他人の生活なんてどうでもよいという考えが芽生えがちです。
これは結果として「都市での孤立化」を引き起こし、これだけたくさんの人がいるにもかかわらず「孤独感が拭い去れない」という気持ちを引き起こしていると考えています。
都市でのコミュニケーションの課題は、都市そのものが持っている機能と、人間そのものが自然的に持つ欲求との矛盾をどのように解決していくかにかかっています。
人間は自分の生活や趣味を邪魔されたくないとは思っていますが、それらを共有できたらどんなにいいことかと思っています。
人間は自分の嫌なことはしたくはありませんが、一人にはなりたくないと思っています。
相反する二つの感情を持ち合わせ、それらのバランスをとりながら生きていると思います。
バイラルマーケティングという言葉があります。
「バイラル」とは「感染的な」という意味ですが、人々が参加したくなる機能を整備する。
何かをしようとする時にあれやこれやと面倒くさいことが山積みではやる気も起きません。
どれだけシンプルに物事を整備して提示できるか。
これが「硬化」を防ぐ目標となります。
蛇足ですが、これから世界は深刻な水不足に喘ぐと現在でも予測されています。
ですからあらゆる資本家たちは将来莫大な利益を生むであろう水資源に着目して土地を買いあさっていることはご承知のとおりでしょうが、北海道は水資源の宝庫。
特に札幌市の水は水道水でもそのまま売れるほどおいしいことで有名です。
自然環境の保護と自然資源の確保は生き残るための絶対的な条件となります。
札幌市はこれからおいしい水を確保し、水不足や汚染された水資源の多い地域に水を販売するビジネスを展開して予算を独自に確保するような活動も必要になるかと思います。
それではとりとめなく、重複したことも多かったことながら、最後までお読みいただきありがとうございました。
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