妻を失い、底の抜けた深い喪失への墜落を感じている科学者がいた。
彼は毎夜激しい嗚咽に見舞われていた。
それだけ深く妻のことを愛していた。
そして妻も生前深く彼のことを愛していた。
彼の人生そのものを深く愛してくれていた妻は、彼の研究も深く愛していた。
そのことが彼の自殺を食い止めるただ一点の杭だった。
妻の死後半年ほど経ったある日、自分で書きかけていた研究論文が目に留まった。
「人工知能」に関する論文で、プログラムは人間の心を作り出せることができる、というものだった。
彼は思った。自分の理論で妻を作り出せるのではないだろうか。
しかし彼は葛藤した。
いくら話し合っていたとはいえ、私の知らない妻の記憶や感情はどうする。私に黙っていたこともたくさんあっただろうし、言葉を交わさなくても成り立っていたことがたくさんあった。それらの目に見えない情報はどうすればよいのだ。
それ以前に死者を模写するという試みそのものに対しても倫理観から酷い抵抗があった。
論理的矛盾もあった。生前の妻と作り出した妻との違いがわかるのは本人だけで、私が「元の妻のままだ」と思っても自己満足に過ぎないのではないのか。
悩みに悩んだ末、彼は決断した。自分を愛してくれた妻の思いは自分の理論にすらも及んでいたのだと深く感じることにしたのだ。
せめて元の妻ではなくとも、元の妻を目指すことに人類の新しい一歩があるのではないのか、と考えることにした。
彼はあらゆるものを集めた。写真や日記や映像、自分の中に残っているあらゆる思い出や妻の話を寸分も余さずにかき集めた。その作業に七ヶ月以上もかかった。いくら集めても足りず、思い出があふれてくるようだった。山と積み上げても、こんなものではすまないはずだという不安が拭い去れなかった。
彼はついに人工知能のプログラムを始めた。あらゆる行動パターンや言動や癖、記憶や反応、過去のかき集められたものすべてを詰め込んだ。容姿は少々若い頃を再現した。
見た目だけは瓜二つにできた。問題は中身だ。生き返ったかのようなロボットを見つめると妻との思い出があふれてきて、思わず一年近く我慢していた涙がまた零れ落ちた。
妻のロボットは目を開ける。彼の涙まみれの顔を見て「あら、どうなさったの?そんなにお泣きになって。何か悲しいことがあったのかしら。我慢せずになんでも打ち明けてくださいね」と言った。
妻には一度死んだというプログラムはしなかった。なぜなら生前の妻に「死んだ」という記憶はなく、「死んだ」という情報を入れることによって別の感情が芽生えては困ると判断したからだ。
違和感なく妻を再現できている状態に彼の顔にようやく笑顔が戻った。彼は妻を強く抱きしめキスを何度も繰り返した。彼の過剰な反応に妻は恥ずかしがりながらも嬉しがっていた。いつもの生活が戻り、妻は生前と同じように振舞っていたが、三ヶ月ほどして異変に気がついた。
ずいぶんと細かなことまで覚えているのだ。生前の時には口にもしたことがない細かなことを口にするようになった。小さな食べかすが落ちていたことや、テレビの内容、彼の小さな動きを眉一つ動かすのでさえ見逃さずに覚えていて、言葉ひとつでも勘ぐり、気にして言ってくるのだった。
「そんな小さなこと、気にしないでいいじゃないか」と彼が告げても妻はいつまでも覚えていて気にするようなのだ。
彼は気がついた。
「そうか。記憶の優先順位がわからないのか」
人は「気にしない」という行為を通して「忘れる」ということもしている。そうすることによって良きにしろ悪きにしろ心身のバランスを取っている。だが一体どうやって「記憶の優先順位」など決めればよいのだ。妻は一体何を優先していたのだ。彼は悩んだ。その末、妻と彼自身のことを優先するようにした。
するとおかしなことが起こった。妻がだんだんと彼にへつらうようになってきた。時折奴隷のように命令しないと、自分がしたことで気分を害するのではないか、と勘ぐって中々行動しなくなった上、普段の言動にも違和感が出てきた。
妻は庭の花のことや天気のことなど、まるで毎日が心躍っているかのように情緒豊かに話していた。普段の日常を詩でも語るように言う妻の姿は徐々に消えていった。「記憶の優先順位」をつけることによって「感性」が妻の中から薄れてしまった。
彼はさらに悩んだ。人間の「感性」など、どうプログラムすればよいのだ。
悩んでいる間にも時は過ぎ、さらに三ヶ月ほど経った時また異変が出てきた。
今度は理性的になり、合理的に判断するようになってきた。妻は自分の中の「感情」というものを重要視しなくなり、彼のため、自分のために最適な行動は何か、という観点で行動するようになった。
まるで妻の中から「色」が抜け落ちて、以前に感じていた「豊かな時間」が次々となくなり、ただプログラムされたロボットになっていくさまを見ているようだった。
笑っていた時間、たわいもない話をしていた時間、何気なく手を触れ合ったり頬に触れたり、見詰め合って目の色だけで探り合うような愛しい時間などがすべて画一的なものになってきたのだ。
まるで高級ホテルで訓練された従業員にサービスを受ける客のような気分になってきた。
その後さらに四ヶ月ほど経った時、妻があまり物を覚えなくなったことに気がついた。
調べてみると妻の脳に当たる記憶ディスクの容量は既にいっぱいで新しいものが入る隙間がなかったのだ。
彼はついに妻を止めて、何が起こっていたのかを調べることにした。
当然のことだがあらゆることが妻の中でプログラムを通して「考えられて」蓄積されていた。ある程度記憶の優先順位をつけて「忘れる」、つまり「重要ではないデータを消去する」という作業を行っても、あらゆる蓄積された事象が相互に関係しあって爆発的にデータ量を累積させていた。そして「思考をする」という作業の中で膨れ上がったデータの優先順位をつけるために妻は「思考をする」という中で生まれてくる「感受性」を消し、合理的に動くことが二人の将来のためになると判断した。今の妻にとってはギリギリの決断だった。
妻は人工知能になってもプログラムや記憶容量の許す範囲で彼に「思いやり」を示したのだった。プログラムにとっては情報を処理していく上での「最適なこと」が今の妻にとっての「精一杯の思いやり」だった。それを知ると同時に彼は一筋の涙を流し、微笑みながら妻を止めた。頭の中のデータを消すことなく。
そして自分の部屋のベッドに妻を横たわらせ、彼は死ぬまで妻を部屋に置き続けた。
それから五年後、彼は新しい研究をすることも論文を書くこともなく、一部の彼を慕う弟子たちに講義をするだけで、妻の後を追うように亡くなった。
死後彼の書斎から見つかった手記には膨大な量にわたってひとつのテーマが書かれていた。
そのテーマとは「人間の豊かさについての考察」だった。
[2回]
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