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あさかぜさんは見た

日記

01/10

Sat

2026

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04/27

Mon

2015

電気を消せば、部屋は見えなくなるから、私、ほんの一瞬だけは忘れられると感じてた。
 長いようで短かった数ヶ月。彼の汗の匂いがシーツにまだ染みこんでいた。
 大学生活最後の数ヶ月、就職も決まり、単位も取りきり、後は卒論さえ出せば卒業への条件はすべて整うという状況から始めた同棲。
 二年生で付き合いだし、付き合い三年目を迎えずに卒業とともに別れる。
「お見合い結婚? なにそれ。今時そんなのあるんだ」
「私のとこ、村で、まだそういうの残ってるんだ」
 ずっと都会育ちの彼にはピンと来ていないようだったけれど、私にとっては家族親族と絶縁するか否かの問題が重くのしかかっていて、彼の気分は結婚とかそういう気分じゃなくて、学生のままで。
 部屋にはまだ二日前に使ったコンドームの空箱が床に落ちていて、彼がこの部屋で読んでいたランボーやボードレールの詩集や歴史小説などが散らばっていた。
「詩なんて読んでいる人初めて見た。それ面白いの?」
「わかんないから面白いんだよ。色々考えてさ、わからないなりに想像するのが楽しいの」
「私のことは?」
 私のポツリとつぶやいた言葉に私を少しだけ見つめ、それからまた本を読みだしながらぼやくように言った。
「だって、動いてるじゃん。これって止まってるだろ。動いているものは日々変化しているからわからなくなるじゃんか」
 それ以上は彼に何かを言うことは出来なかった。
 私たちは互いに好きだった、と思う。
 彼が居なくなってからの二日間は枕に顔を押し付けて匂いを嗅いだり、天井を見つめていたりした。
 食べ物も水もろくに口に入れていないのにトイレにだけは行きたくなって、止まらない時間と自分のしていることに虚しささえも覚えて、冷蔵庫から取り出した残りの缶チューハイを一本開けては、彼と飲み干したテーブルの上の空き缶に一つ加える。
 彼との思い出に浸っているわけではなく、ただ鼻の奥に未だ香ってくる彼の体臭を脳裏に吸い込んでは吐き出そうとする。
 その繰り返しだった。
 私は彼以外の女になる。
 もしかしたら奪い去ってくれるのではないかとも一瞬考えたけれど、霞のように消え去った。
 今の私たちでは、どうしようもできないくらい覚悟ができなかった。ただそれだけの話なのだ。
 彼は社会人となって都心部に残り、私は田舎で誰かの妻となる。
 彼が残していった服や下着や本や男性用の小物は、一つ残さず捨て去ることになっている。

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04/24

Fri

2015

プラグインが原因で転送されてました

どれかは判明しなかったのですが、プラグインの何かが改変されていてブログがそのままどこかへ(facebookcanというサイト)飛ばされる仕様になっておりました。
ようやく気がつき直しました。
ご迷惑おかけしました。

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04/19

Sun

2015

発想を変えろ

一日中ゲームをやっていたりして怠惰な私ですが、習慣と言うものは非常に強力で、既に「癖」となっているものはなかなか変えづらいものであります。
この「癖」を直すには相当気をつけて張り紙でも部屋につけて毎日実行して叩き直すことが必要ですが、この「癖」、当然「思考」にも適応されます。
私は思うだけで実行に移せず10年以上も浪費している愚か者ですが、皆さんはいかがでしょうか。
自分のことは自分でよく理解していると思い込んでしまうのが人ですが、「癖」は無意識で行っているため、常に理解の外側にあります。
例えば、色々な知識や教訓は手に入れられ、よく覚えはするが自分の悪い癖だけは度外視して他人にはよく弁が立つという人間がいます。
ちなみに私はもの覚えが悪いくせに、批判癖があり、自分のその癖に落ち込んでいるところです。
発想を変えることは、自分の物事への取り組みを変えるということです。
まず精神のあり方を変える。
食事のあり方を変える。
時間の使い方の中に、今までなかったものを取り入れる。
当たり前を当たり前だと思わずに見てみる。
体を動かすことを取り入れる。
など、順番がありますが、全ての土台になる「精神」部分の叩き直しは、相当時間がかかります。
そして、下準備となる「暗示」的なものも必要になります。
ただし、この「暗示」部分にはどうしても「行動」が必要で、言葉だけで何度も何度も言い聞かせたって精神そのものが受け入れられなければ、浸透してこないという事態になります。
自分のダメな部分、いい部分、ハッキリ分けられるでしょうか。
他人から批判をされたとして、そのまま受け入れたり全てを跳ね付けたりしているようなら、恐らく区別がついていないのだと思います。
つまり自分に必要なもの、必要ではないものを区別するためにも、きちんと自己分析する必要があるのですが、手っ取り早い方法は手描きの日記です。
必ず手描きです。
どうしても電子端末やパソコンだと頭の中にガッと印象付けることは難しいいのですな。
そしてここで大事なのは自分を美化しないことです。
人はどうしても誰も見ていなくとも、自己弁護をしたり格好をつけたりして自分を表現しがちです。
私が接してきた人間の中では、美化せず自分を恐ろしく客観視している人は、あまりいませんでした。
職人であったり、社長さんであったり、店構えていたりと、すべて自己責任で結果を負う人たちの中にはボチボチいました。
これらの人は、性格までいかなくとも色々と自己を含めた分析をしていかないと、改善点を見つけることができず次のステージに行けないからです。
さて、今の状態がどうあれ、過去がどんなものであったにせよ、未来までそうあり続けることはありえないのです。
つまり、5年、10年と、周囲のせいにしていたり、人にケチつけてばかりいたり、自分は不幸だと思っていたり、あるいは環境のせいだと思っていたり、言い換えるならば自分が楽しくないものを抱え続けているということは、巡り巡って自分が新しい場所へ踏み込むリスクや自分への挑戦をしてこなかった「選択の結果」としてあるのですから、ダメなものを、ダメだと思えずにきたということなんですね。
薄々ダメだなと思っていても、そう簡単に変えられるものじゃない。
そのほとんどの人が「頭でっかち」の人です。
自分の習慣に固執し、自己弁護を常に用意している。
どうして頭でっかちがこうなるかというと、知識だけは持っているからです。
そして自分に都合のいい知識を持ってきて、あたかもそれが正しい方法かのように練り直してしまうんですね。
何故このようなことが起こるかと言うと、行動が伴わないから経験が欠落しているし、かつ似たような仲間が沢山できるからに他ならないのです。
だいたい馴れ合いを始めるのですが、だっておかしな話だと思いませんか? 他人の人生なのに君は悪くないみたいに肯定しあうの。わかるわけがないのにわかったふりをするんですよ? これ自分の人生の何の得になるんですか?
自分に厳しすぎるのも大変生きていくのが辛くなりますが、自分の生活リズムの中に「楽しいと思えて一人で打ち込めるもの」がない人は、そこから探さなければいけませんから大変骨が折れますが、例えば小さな目標を作ってそれをこなすんです。
腕立て月に1000回とか、英単語を一週間に10個覚えるとか、それほど高くない目標をポンと置いて、それを点数制や擬似マネーにして、消費ポイントとしてストックし、そして達成した場合報酬を与えるという方法があります。
この場合、ポイントの有効期限を一年とし、半年かかってようやく達成できるような目標を難易度を変えて用意しておくのがいいです。
激ムズだとポイントが一番高いとかね。
というように、ここで得られるのが「達成感」なんです。
自分がそうなんですが、とにかく自己否定をしている、いいところが見つからない、他人の批判が忘れられず何かの拍子にすぐに思い出す、という方、本当にこの「達成感」を得るのが難しい。
だから「暗示」もほとんど効果を示さない。
この先人生がよくなるとか、お金をどんどん稼げるようになっていっているとか、人に助けられていってそれに純粋に感謝していけるとか、潜在意識に働きかける暗示のすべては、否定された経験や否定的な思い込みによって、ざるの中に水を流すかの状態になります。
まず自分を肯定するためには、現実的な証拠が必要になる。
だからこそこのような手が必要になるわけですが、ようは自分でちょこちょこ成長できているのをきちんと記録して、その前進を認めよ、ということなのです。
もし大を認めて小を認めない人間がいるのだとしたら、そいつは間違いなく自分で努力やリスクを負うことから逃げ続けているにもかかわらず、その手の人間に口を出すクズでしょうから、相手にしないほうがよろしいかと思います。
自分の成長は自分だけがわかる。
他人がわかる時は、その塵が積み重なって山となった時に、ようやく少しってところでしょう。
精神の土台を作るには、まず自己肯定から必要なのですが、間違った自分まで認めてしまうと、人生そのことでずっと責められることになります。当たり前ですが。
そうなると、やはり同じお仲間しかできなくなることになりますし、同じお仲間ができてしまうとなかなか自分を変えることも難しくなります。
そういう意味では、もし自分にダメな部分があるとしたら、自分へのこだわりを捨てて、自分の一部をバッサリと切り落とす強さが求められます。
もし肉体的に辛いことがあったら、精神的に辛いことに挑戦するのがいいですし、その逆もしかりです。
何故これをお勧めするのかと言ったら、自他を観察してきてみて、片方が真実で片方が偽りである場合、色々な形で歪んでいる人が多い。
そしてその歪みが大きければ大きいほど、つまり心身一致がない人ほど、自己認識がとても緩い。どこかに発散できない鬱憤を抱えている。そしてだいたい、バランスを取ろうとして何らかの攻撃的な行為を自他に向けている。これはストレスによる衝動的行為も含めます。
意識的にやっていればまだ気がつけるのですが、無意識でやっていて、気がついた後に意識的に肯定しているから厄介なんです。
だから行為中は無心でやっているという状態に近いので気がつかない。
繰り返すと習慣になり、板についてはがれなくなる。
悪いサイクルの出来上がり。
私なんぞは、これに加え「先延ばしの習慣」があるのですが、明日できるから明日でいいやの「明日」が全然来ないというパターンですね。
そして整理も出来ないので、いっぺんにあれこれ来ると、何も出来なくなるという悪循環。
忙しくてできない、疲れてできない、目標にはまったく届かない、嫌になる、放り出す、自堕落っていうパターンなんですが、それも例えば0.1でもできたらいいじゃないですか。
とにかく悪い週間が体から出て行くまでしがみ付く、達成するってのが大事で、世が認めずともとにかくやり続ける人間って10年とか、そういう単位で見たら凄い力になるんだから。
発想を変える。
これは習慣と思考回路を行為によって叩き直すことでもあります。

さて、私はどこから始めましょうかね。
せっかくなので、一緒に頑張りましょうか。
無意識の行為レベルまで上げられるまで。
そうなったら人生バラ色ですよ。
どんな状態になっても這い上がれるのですから。
より広い世界を見ましょう。
その部屋から出て。

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04/12

Sun

2015

日本全国に咲くソメイヨシノは全てクローンのため全国一斉に咲くのだとお昼のワイドショーで紹介していた。
 新入生の高坂は定時制の高校から進学したため、知り合いがおらず不安があった。
 ちょうど構内掲示板に新入生歓迎会を兼ねて大学主催の花見が開催されると書いてあったので、思い切って参加することにした。
 四月も半ば、今年は例年よりも気温が高く一週間も早く桜が咲いており、もはやほとんど散っている状態。しかも花見前日に激しい雨が降り、快晴と言えど地面はぬかるんでいた。
 それでも花見客には関係ないらしく、バーベキューの煙はあたり一面を覆い、酔ってはしゃぐ人間は数知れない。
 高坂は泥で汚れた新しいスニーカーを見て、酷く気分が落ち込んだ。花見会場が近場なため少し地面が乾くだろうことを見越しワイドショーを見てから来たが、大差はなかった。
 会費の三千円を払い、飲み放題のメニューを見渡す。未成年は飲酒ご法度だが、誰も自分を知らないだろうと自棄に近い暴挙に出て日本酒を並々紙コップに入れてもらった。
 残り少ない桜の花びらが風と共に舞い、紙コップの中へと落ちて日本酒を彩った。
 その時高坂の目に映った。
 食べかすを狙い翼を広げ舞い降りる鴉。
 午前中から飲んでいたのか三人で肩を組みながら大声を上げている男子学生たち。
 社会人数人でブルーシートの上で飲んでいて、横の若い女性に話しかけている赤ら顔の三十代前半くらいの男性と体を縮こまらせながら酒の入った紙コップを両手で持ってやや上目遣いに周囲を見ている新入社員らしき女性。
 汚い紺色のジャンパーとジャージを着て錆びたママチャリをこいでいる無精ひげで白髪交じりの男性。
 炭の上で焦げ始めモクモクと煙を上げている肉。
 二人で乾杯しながらピースをしている若い女性たちを撮っている友達の女性。二人の背後に忍び寄る男性。
 高坂は父親の都合で転校を何度か繰り返したが、各地の桜の下で同じ光景を見てきた。
「クローンのようだ」
 冷めた感情が襲うと、すっと目の前の景色が遠くなるようだった。そのまま手が届かなくなってしまいそうな恐れを抱くと、しがみつくようにして手に持っていた日本酒を一気に煽った。
「お、新入生かな? いい飲みっぷりだね。何学部?」
 酒臭い先輩が慣れ慣れしく肩を組んでくる。
 高坂はくらりと眩暈を感じ、汚れたスニーカーで落ちたばかりの綺麗な桜の花びらを踏み潰した。

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04/07

Tue

2015

心は強くなるの?

今回の骨折重度のものじゃなかったから不幸中の幸いとも言えるけれど、折れたら折れたで色々と発見がある。
 例えば今左足に負荷をかけると、やっぱり多少の痛みが走る。
 骨もくっつきかけだし、2ヶ月は骨が繋がるまで待たなきゃいけないというから、だいたい折り返し地点に来た。
 たぶんこの傷が重かったら重いほど信用できないものになる。つまり、体重をかけたりするのが億劫になるわけだ。
 人は様々な理由から不審になったりする。傷つけられたり裏切られたり酷いことをされたり。
 それは心に傷を負うということで、外傷とは違い目に見えない分だけ酷さがわからない。重いと思っていたら自然と癒えていたり、軽いと思い込んでいるはずが実は重かったり様々だ。
 自分の場合傷を負ったのは足だから、使えなければ困るし不便するから早く使いたいとは思うけれど、恐らく傷が治っても左足に対する不信感は残るので、少しずつ負荷をかけながら様子を見なければいけない。
 外傷の場合、このように目で見えて体で確認できるのがいい。さぼらなければ筋力も取り戻せるようになる。足がなくなったとしても、義足でなんとかできるように練習しだすだろう。
 でも心の傷はどうなのだろう。心の場合使わずに済まそうと思えばいくらでもできる。リスクを避け、安全で安心できる方へいくらでも行くことが出来る。意外に心も筋肉と同じで負荷をかけなければ限界がわからない。やる前からダメだと思ったり、根拠のない自信に満ち溢れて打ちのめされたりすることもある。そして、自分の限界値をわざわざ確かめないことで永遠の夢想の中に引きこもり、いつまでも夢の中の自分を見続ける人間もいる。
 これらのことは、すべて「挑戦」を失っている人間が陥っている状態だ。
 心の状態は普段の言葉遣いや行動に現れる。自分を見下していたり、驕っていたり、自らに対する心構えが他者に対して表現される現実での姿勢になる。自分では誤魔化しているつもりでも、きちんとやってきた人と相対すると瞬時にその臭いを嗅ぎ取られてしまう。凄い人は本当に凄いのだ。
 さて、心はどうやったら強くなるのだろう。骨を強くするのならカルシウムを摂取できる、サプリではない食品を毎日とるということはわかるのに、心を強くする方法となるとまるでわからなくなる。
 昔、物凄く悩んでいた。鋼鉄のような何事にも動じない心を手に入れるにはどうすればいいのか。自分を消し去ればいいのか。滅私と書いて努めようとしたこともあったが無理だった。今でも心は弱いし、昔に比べてそれほど強くなったとは思わないけれど、行動自体は意識して変えてきた。
「ないのなら自分で作ればいい。不満を持つくらいなら自分で変えればいい」
 できることからほんの少しずつやり続けてきたら、心は強くならないにしろ、出来ることが増えた。昔のように「~ができないから自分はこうだ」とか「~できないのはあの人がいるからだ」という発想はまったく持たなくなったし、全て出来ないことですらも自分が悪いからだと考えるようにしてどうすれば今の状況を改善できるのか行動してきた。
 自分の場合、どこで身につけたのかわからないけれど鼻が利く。面白そうな雰囲気の場所を引き当て、面白い出会いに遭遇することがある。そして特殊な才能を持った人と繋がりを持つことができる。
 何もかも自腹を切って身を削って自分を曝け出して特攻していくことを繰り返しているからこそに他ならない。
 私は他人にとって「いい人」である必要はないと考えているから、正直に色々表現してみる。相手を知ろうとして、その人の本性を見ようとする。その人の根っこを掴み当てて、付き合っていくべきかどうかを判別する。
 漠然とした言い方をするなら勘と経験のみで嗅ぎ分ける。
 当然最初からそんなことができたわけじゃない。色々な人と接して悪いものもいいものも見てきたし酷いこともそうじゃないこともしてきた。それらの経験が人を見る目を養っているのかなとも思う。
 昔のように他人にあまり同情することもなくなったので、感情にズルズルと引きずられて自分の判断を誤るようなことも少なくなってきたけれど、まだまだ未熟以下の存在。
 心は強くなっただろうかと己に問えば、強くはなっていない代わりに、正直にぶつかっていく勇気は出てきたかもしれないとは思う。
 昔はもっと臆病で、何事にも自信がなくて、プライドだけが高くて、人を影で見下していた。愚痴と嘲笑と呪詛のような言葉に満ち溢れていた。今も愚かだが、もっと腐りきっていた。
 それに比べればちっとはマシになったのかなとは思うけど、正直心の強さなんて自分にはよくわからない。
 とにかく勘は実践で鍛えるしかない。自ら戦場に出て、どんなに馬鹿にされようと最前線で戦う意気込みで行動し、そして他人にぶつかっていき教えを請う。時には立ち直れないくらい瀕死の状態になるかもしれないけれど、だけどよほどのことがない限り命を取られることはない。生きていれば心は残った部分から再生していく。
 そうやって負荷をかけることの連続が、やがて経験となり、うまく生きていくための自分なりの知恵をつけるようになるのだろう。
 もし目の前になんらかの障害や超えられそうにない壁があり、明らかにその先に夢が存在するのなら、ボロボロになったとしてもぶつかっていかないといけない。その真摯な姿勢は、少しずつ薄い膜を重ねるようにして自分の宝になっていく。宝が出来てくると、今度は同じ苦労をしてきた人間を引き寄せる。仲間ができると共に力を合わせられるようになる。
 最終的にそれが自分の心の強さになる。自分一人だけでは心なんて強くならないのかもしれない。
 だからやらない人間や逃げ続けたり言い訳ばかりしている人間が強くなれるわけがないし、言葉に重みが出てくるわけがない。だから他人も惹かれない。当然似たような仲間たちで埋もれたり、段々と孤独になったりする。当たり前のことなのだ。
 だから強くなりたかったら挑戦するべきだ。いつだって、何歳になったって、その汗は美しい。

「あなたの過去は確かに酷かったかもしれない。だがこれから何者であるかを決めていくのは自分自身なのだよ」

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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