これは創作における鉄則なんですが、やっぱり描きたいものというのは絞らないといけない。
そこにテーマ性があるか、ということを自分は考えたりするのですが、最近料理も楽しくやっていることから、よく料理に例えています。
何でも「塩梅(塩加減)」ってのが大事で「入れすぎない」「少なすぎない」という絶妙のバランスが素材の味を引き出すわけです。
そんでもって、よく最初は「作りたいものを作る」という気持ちが強すぎて、あれもやりたいこれもやりたい、と自分が好きなものを何でもかんでも詰め込んでしまいますが、料理に例えるなら簡単です。
自分の好みのものを同じ鍋の中に入れて混ぜてしまったら、恐らく食べられないものになると思うのです。
そういう意味ではテーマ、最終的な出来上がりとなるものは、シンプルなものの方がいい。
それを「メインの食材」とするならば、そのメインの食材がどのようにしたら引き立つのか。
主人公や脇役でさえ冷徹に扱わなければならない時があります。
創作には二つの目が必要です。
一つは主観。
これは誰もが持っているものですが、もっと突っ込んでいくとキャラになりきる演技力というか、その心情をよく知り、その視点から世界を見るという主観です。
これ、なかなかね、できそうでできないっていうね。
鍛えるには多くの人と出会って色々な人たちのことを知ったりするのが一番なんじゃないかと思ってます。
実際肌身で人間のこと感じないと、自分の世界に閉じこもったままになってしまうので。
二つ目は客観。
客観視って「人から見たらどう思うだろう」という意識ですね。
日本人はこの「客観視」が強すぎて、なるべく波風立てない方法で、自分を殺しすぎる人がいますけれど、それこそ「塩梅」です。
バランス感覚というものは、この客観視で養ってください。
ある一方向からのものだけが正しいことではないので。
この「客観」を養うには、常に哲学的かつシンプルな問いが必要です。
「それは本当に正しいことなのか(間違っていることなのか)」
という視点ですね。
色んな方向から見る。
たとえば悪には悪が成り立つ仕組みや理屈がありますし、それでは人間は落ち着いて生きられないから戦うという善もいますし、悪だとわかりつつ、おかしいとは思いつつ、正しいことに対して勇気を持てずに傍観しながら悪化していくのを眺めていく人たちや、悪には染まりたくはなかったけれど流されたり生きるためには仕方がなかったりとか、色んな立場の人たちがいます。
それを知るには沢山本を読んだ方がいいと思います。
自分が知らなかった世界を知る。
そして自分が認められない世界のことも知る。
そうやって己の中の価値基準に対する、時には愚かとも言える何かに気がつくわけです。
正直主観は誰にでもあるわけであって、やっぱり影響を受けてきたもの自分が好きなもの、鬱屈したものっていうのは誰しもありまして、それを表現することはまったくかまわないのですが、「何故それがあなたが書かなければいけないのか」という明確な理由と、さらには誰にも影響されていない独自視点がなければいけないのです。
もういっちょ欲しいのが、いかに主観過ぎるものであっても「周囲の環境をきちんと理解できている」というのが大事で、あまりにも周囲の感性とかけ離れていても、奇人変人の作品に終わってしまいますからね、いかんのですな。
どうしても「王道」というものがあって、「他人が安心して食べられる安定した味」というものがこの世界にも存在します。
最近はシナリオやお話の世界ではハリウッド的な構成における凝った仕掛けが主流になってきていますが、それもいずれは形態を変えていくことでしょう。
最先端のものをマネするのはかまわないのですが、それが自分でできかかった頃にはブームは済んでいるなんてこともザラに。
やはり最新情報を常に得ていることが大事ですし、専門外のことにも興味を持って積極的に情報を得て、理想を言うならば、その専門分野のお友達を作るのが最高です。
なんせね、会うたびにね、話してくれるからね。
お酒の席で一緒になれるような仲になったら、色々教えてくれますよ。
それタダで聞いちゃっていいのかな?っていうことをね。
人を作るのは常に人なので、素敵な人たちと繋がっていけば、自然と「美味いもの」ってのがわかってくるのですが、そこは慎重に自分の中で選りすぐって、「最高の料理」に変えていくのが腕の見せどころかと思います。
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