ドリフターズのコントを改めて見直している。
この時代のお笑いには知性や教養が感じられる。
テンポとタイミング、引き込んでいく間、練りこまれたシナリオ、無関係なものを意味のあるものに仕上げる技術、どれも一級品といえる。
今のお笑いには知性が足りない。
たぶん、プロデューサーのせいだろうが、それにしても数字を気にして冒険をしない番組には進歩がなく、いつしか私もテレビを見なくなって、今流行っているお笑い芸人の名前もほとんどわからない。
現在の状態では、いつか行き詰ることは見えている。
ドリフのインタビューで「僕らはメンバー以外の人間をバカにしないように注意していた」と言っていたのをどこか心の片隅に記憶している。
今は人を傷つけるようなお笑いも許容されている。
そういうのはひどすぎて見ていられない。
お笑いの中にルールを決める。
生き方にルールを決める。
そこに妥協をしない格好の良さがあった。
今は折れる。
とことん折れている。
いつまでたっても、反抗できるほどの力をつけない。
ぶちやぶれるほどの才能を発揮できていない。
今のところ将来において国境を越える実力を持っているようなお笑いグループは「ラーメンズ」ぐらいしか知らない。
今流行っているほとんどの芸人は残れない。
ドリフもひょうきん族もほとんどのメンバーが残っているのは、きちんと実力のある人間が創作をしていたからで、今は創作力のない人間がどんどん人を馬鹿にしたようなものを出してくる。
笑われる職業というものは、人からバカにされるのはアウトだし、人をバカにするのもアウトだと思う。
前者も後者も「実力がない」ということを示している。
ただ単に相手が笑えば笑いの質は同じだという価値観が私には許容できない。
だから人を傷つけることも平気でできる。
知性が足りない、教養が足りない。
ユーモアを許容する観客にも足りないから、くだらないものしでしか笑わない。
ユーモアを理解するのも知性だと私は思うのです。
お笑いを作るのは知性だと私は思うのです。
またとりとめのないことを書いてしまいましたが、ぶっ壊してやりたいわ。
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