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自殺者1万人を救う戦い一言で言うと生きることも死ぬことも「自己責任」のように取られる。
夢を追えというわりには多様な生き方を社会は認めていない。
だって私だって仕事で面接受けて、文章書いています正社員は時間が取れなくなるので遠慮しますなんて言うと「こいつ大丈夫かな」とシニカルな笑いを浮かべた面接官の裏の気持ちがよく読み取れる。
ようは、そんな生き方は「まともじゃない」と受け取られる。
きちんと定職を持って働いて食い扶持は自分で稼いだ上でちゃんとしろよ、と誰もが言う。
それは金にならずに食えていけないものは仕事じゃなくて趣味と取る。
そして、趣味で人生を狂わせるのはおかしいと通常の社会人は思う。
だって実際定職に長く就けなかったり正社員にならなかったりする人間は、かなりの冷ややかな目で見られるのが現実だもの。
一度仕事を止めて半年世界各国を回って帰ってきたら、再度仕事に付くのは以前よりも困難になる。
そんな風に長くそこにいることが信頼を生むし、信用のない人間は仕事から遠ざけられる。
当然、お金がなくなっていく。
日本は金に行き詰ると生きていけない。
一ヶ月の酒か、それとも一週間の食料かで悩み、だんだんと金のことで追い詰められ思考が鈍化していく、あのじとっとした嫌な心理は実際体験してみないとわからない。
酒がないと辛い悩み事に押しつぶされてしまうから、食料並みに大生きるための大事なものになってしまう。
生きる術はたくさん用意されていても、それを選び取る思考能力が心理的圧力によってそがれていく。
手段を選び取れるのは、物凄く幸せな生活をしている人間だということに気がつかず、うっかりとふさぎこんでいる人間に説教がましいことを言う。
互いに反発しあって理解できない。
新・人間失格
http://p.booklog.jp/book/6614昔こんなものを書いた。
太宰をまるまるぱくっていて、自分のオリジナルではないから、いつか書き直そうと思って数年も放置してしまった。
絶望している人には何が必要なのか。
まっとうな意見よりも、理解者だと思う。
その上でやっぱり誰かに必要とされることに、なんらかの喜びを感じるけれど、酷い場合は相手が自らを攻撃してくるまで心理的に痛めつけたりする。
お前も私を裏切る者の一人だろうと試さんばかりに。
絶望から救う方法は千差万別。
マニュアル通りにはいかない。
でも、誰も理解者になろうとしない。
誰もが自分の人生に精一杯で、他人の人生に興味を持つよりも前に、自らへの同調者を強く求めているからだ。
他人の為に何かを懸命にできる人間は非常に稀だし、自分の資産を使ってまで他者への支援を行おうとする人間もまた稀だ。
実はそれぐらい他人に関心を持っているようで私たちは冷たい。
そして同時に人間社会に生きる恩恵を受けながら実利以外は冷たい目で見るほど私たちはあつかましい。
最近私は本当の「創造」とは何かを考えている。
それは「遺す・残す」ことなんじゃないかとも考えている。
自分の人生一つ使って誰か一人の人生に感銘を与え、希望を与える。
希望とまではいかずとも浄化を与える。
二人だったら凄いことだ。
人生は克服すること、つまり「克っていくこと」だと考えている。
だから「克つためのヒント」が世の中にもっと溢れればいいと思うし、私たちはもっと親密な友達になるべく、先入観で人を見るよりも前に、人間そのものがもっている可能性を探っていくべきだと考えている。
可能な限りね。
[1回]
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