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05/09

Sat

2009

ネットコンテンツの将来

~自分なりに思ったことを書いてみる~

世界の動きがどうなるかはわからないが、少なくとも日本は小さな端末に様々な機能が凝縮されていく方向で、システムが作られていく。
電子本を読むだけというのは過去にすでにツールとしてあったが売れなかった。
現在の携帯電話は写真が撮れてメールが送れて音楽が聞けてテレビが見れてラジオが聞ける。ネットにも繋げるし、ゲームもできる。家のセキュリティーも管理できるし、GPS機能だってついているし、とにかくあげればきりがないほど機能がついている。
日本ではメディア媒体自体の革命が起こっておらず、アイディアが乏しいせいか、古い考えが捨てられないせいか、番組が増えてもいまいちアピール度や、協調性が足りない。奇抜なものも出てこない。
我々が何を求めているかと言えば、テレビならばひとつの画面で全部のチャンネルが見れる衛星放送のようなシステム。
わざわざどこにあるかもわからないネット番組をいちいち探すのも面倒だ。

まず、あらゆるメディアを統合してひとつの画面ですべてのチャンネルに繋げることができる、テレビのようなシステムが欲しい。番組表のようなコンテンツもこれに含まれる。
その点ではWiiやプレステ3など、ネット端末を利用できるもの、DSも将来性がある。
彼らが積極的にチャンネルを統合する動きを見せれば、ラジオ番組、ネットテレビ、音楽配信など、あらゆるメディア媒体さえも、ネットに参入し、チャンネルを作り、個人が趣味などでチャンネルを設定しておくことで、極めて個人的なチャンネルカスタマイズができるようになっていく。

その上で分かれてくるのが「公」と「私」。
この両者は両極化するように加速化していく。
公のチャンネルとは大企業などをバックにして、信頼性のあるチャンネル、彼らが選んだもののみで構成されるチャンネル。
そして、その一方で「私」が発信する、個人的なチャンネル。
これは現在の飽和状態のウェブページ群とあまり代わりばえのしないものがどんどん増えていく。
その中で「私」を制御するのが「検索エンジン」の存在になる。
また、「私」のコンテンツをまとめる「半公」の存在、その「半公」を仕切る上の階層の存在も出てくる可能性がある。

無数のゴミのような文字群の中で、どのような情報やコンテンツが選び取られるのか。
まず、エンターテイメント。
そしてニュースと衣食住、地域に関するあらゆる情報。
これは必ず残る。
紙の情報誌を持つよりも、携帯端末のようなものでGPSを利用したような、グーグルマップのようなコンテンツで地域のあらゆる情報を手に入れるということ。

紙は絶対に滅びることはないが、需要は限りなく低くなり、店頭で買ってきてわざわざかさばらせるという、時間と物量の手間をめんどくさいと思う人間が増えるに決まっている。
しかしアナログの手段は人間が人間らしいものを欲するという欲求がある限り、滅びはしない。
「公」が発信する情報を「私」が掴み、その情報に流され「私」は増殖していく。
つまり、現在打たれている手は、すべて「私」連中が限りなく増殖させていくということになる。

我々がコンテンツを作るとき、すでにありふれたものを再度焼き直ししたように作るならば、よほどそのコンテンツの質に自信があり、100万以上もの群を軽々とぬきんでることができる、という自信がなければ、危うい。
もしくは完全に観覧者参加型のコンテンツでなければいけない。
両立できるのならばなおいい。
限りなくピンポイントの隙間産業で、少人数の「変わったものを好む人」を相手にして、値段を強気に吊り上げるという方法もある。

常にコンテンツを作る側の課題は「いかに観覧者を参加させるか」にある。
もうコンテンツを作って置いておくだけの「動きのない」コンテンツは100%淘汰されていく。
常に「動的」なことがコンテンツには要求される。
はたしてコンテンツにおける「動」とは何か。
我々は常にそれを考え仕掛けていかなければいけない。
その時に常に「動」にとらわれ「一過性」のものばかりで「将来ゴミにしかならない」ようなものは、次々に我々の手を離れ、どでかいコンピューターの一データとして独立し、我々が持っていた権利を無視して新しい権利を持つことになっていく。
この権利に関する争いも近い将来決着がつくだろうが、相当もめることが予想される。

観覧者は難しいことを考えない。
「面白い」か「面白くない」かのどちらかでしか判断しない。
観覧者たちの上をいくには、どうしても「彼らが手放すことすら惜しいもの」を作るしかない。
莫大なコンテンツの中で生き残るには、これしかないと思っている。
観覧者のことを、一生懸命愛し、自らも見下されるのではなく、あくまで対等に話せるような存在でなければならない。
客に媚びたり、客に傲慢になった時点で、もはや崩壊は始まる。

愛されるものを堂々と売る。
これは我々の誇りにも繋がるじゃないか。
コンテンツに、創造者が誇りを持てないのなら、もうすでに失敗している。

どのような大きな力がチャンネルを統合するのか。
我々すらも台頭できる戦国乱世の時代。
極めて質の高いソフト、コンテンツは常に強い。
はたして「強いコンテンツ」とはいかに。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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