「人生は楽しければいい」
それは間違いない。
「人は言葉よりも、言葉で受けた感覚を覚えている」
それも間違いない。
私は最近嫉妬という感情を抱いて、嫉妬をぶつけ、気持ちをぶつけた。
価値観や生き方の違いが、一つの物事への温度差を生み、相手を苦しめ潰れさせた。
相手は吐き気をもよおすようになり、気持ちがついていきたくても、体そのものが拒否反応を示すようになった。
そこまで相手を追い詰めてしまった。
人と人を比べてその「差」を責める。
責めていなくても、言っただけで相手は責められていると感じる。
どうしようもない悪循環のスパイラルだった。
人には各々の向き合い方がある。
その向き合い方ひとつで、とんでもない勘違いを生んでいたり、誰かを苦しめていたりする。
きちんと正面同士で向き合うことを一度でもしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないと他人のケースを見ていて思うことがある。
「向き合う」ってどういうことだろう。
相手がどういう考え方をして、どういう行動をして、どんなことが嫌で、どんなことが好きで、どういう息遣いをして。
そんなことをひとつひとつ知っていくことだと思う。
自分には、明らかに「知ること」が欠けていた。
互いにアプローチの仕方が違いすぎて、ぶつかりあうだけでギクシャクして、互いにショックを受けていた。
どうすればいいのかわからなくなっていた。
未熟すぎて、話にならない。
今はそんな未熟な自分のそばに置いておくのが、とても危険に感じている。
どうしたら楽になれるのか、その人間を突き放すことばかり考えている。
体そのものが拒否反応を示すほどの状態が、はっきりと現実を物語っている。
ひどいことをしたと思っている。
でもその反面、苦しんで、よく考えて欲しいとも思っている。
人には生きている限り未来がある。
自分のことをよく考え、相手のことをよく考え、苦しみ悩みもがかなければならない必要が、人生にはある。
一度でもそれをやっておかなければ、万が一の時に、人を不幸にする。
生きている限り未来があるからこそ、苦しんで欲しい。
今のままで終わって欲しくない。
その人とは、この先深い接点がでるのかどうかはわからない。
力になれるものなら、力になってあげたい。
いつだって自分はそうやって生きてきた。
幸の多い人生を心から望んで止まない。
「生きていって」欲しいと思う。
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