創作ギルド「ZeroKelvin」日本ハムファイターズの栗山監督の本を読んで成程なぁと思ったのは、野球チームの監督って贅沢が言えない。
こういう選手がいたらもっといいのに、なんて考えだすときりがなくなる。
今いる人たちで何とか作っていくしかない。
団体ってそういうものだと痛感した。
実は僕は演技指導もしている。声のことに関してだけれど。
どういう風に声を出すとか状況説明とか、こういう場面に置かれた時人間ってどう考えるだろうという問いかけ。
それは小説を書き、そして自分で演じることによって身に着けてきたものだ。
小説に関してだけ僕は堂々と自慢できるのは、人間を直視して向き合うことをやめなかった。
ちゃんとそこには人間がいる。
そういう小説を書いてきたつもりだ。
そしてたまに書く、百害あって一利なしのネガティブな感情の書きなぐり。
それ自分の日記帳でやってくんないかな?ってやつ。
どう人に見られているのかという他人の中の自分。
他人の感覚を通して見る自分。
偽らない自分と他者の冷淡な瞳。
美化せず恥ずかしげもなく書きおく。
人に何かを見せる時、背伸びしないように、美化しないように、なるべくそのままで。
直視はこういう感覚が絶対に必要になる。
血の気が下がるような気持ち。
だからよく見せたい。
能力があるように高めて見せたい。
よりよいプレゼンテーションをし続けられた方が、当然好感される。
真逆をやる。
まるで死に向かって一直線。
自分が地の底にいるような感覚がとても大事になってくることがある。
上からは言わない。
関わって力を振り絞ってくれた人たちに対して、下から押し上げてやる。
自分が沼の底にいれば絶対に救ってやれる。
そして僕の小説は人の心の脆さと救いをどうやったら練り込んでいけるかを常に意識して書いている。
だから時間が経っても耐えられるものを意識している。
死んでも残る物を。
最後に残った欠けたもの。
この精神の不安定さだ。
それさえなくなれば、もう世界は狭い。
いくらでも上に行ける。
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