何せずっと引きこもりで1日10時間以上もパソコンの前に張り付いて色々読んだり書いたりしている生活を続けていると当然のごとく歩く歩数がひどい時で食卓とバスルームぐらいの往復程度にしかなってない時がある。
「歩くと足の血流が良くなり血を上に押し上げる力が強くなります」
との言葉を発見し、思い出したらなるべく歩こうと今ここに書いて覚えておこうというわけです。
痩せ具合のほうは残念ながら横ばい状態。
やっぱりイラつくことがあって酒飲んだりしてしまいます。
マイナス3キロを維持している。
ビリー隊長とも仲良く無理せず付き合っている。
ビリーズブートキャンプは4巻あり、一番きついのが1巻めなのだけれど、それを1日おき、もしくは2日3日やって1日休むという具合でやっている。
ちょっとずつは長続きできるようにしているけれど、体つきもほんのちょっとだけ変わってきたっぽい。
続けられる気力というのもひとつの技術だけど、続けられるように工夫するのもひとつの技術だということがわかった。
飽き性ですぐにやめてしまう自分にとって一ヶ月続いているというのはなかなかのものです。
ちなみに黒酢を飲みながらがんばっております。
これを飲むと「めちゃくちゃ」が「ちょっと」だるいになる。
疲れづらくなるのは自分で実証済み。
酸っぱいから飲めない人はサプリがいいかも。
今は色々な味の酢があってジュースみたいで面白かったりもする。
マンゴーなのバナナなの。
カロリーをとり過ぎずに血圧などがなるべく激しく上下しないように体調管理するのも大事だけど、改めて歩くことの大事さが、引きこもりだとわかります。
30分でも歩くと寝つきがよいことに気がつきました。
目覚めもよかったりする。
さすがにストレスなどがあったりすると寝付きも寝起きも悪かったりするのですが、最近は好きな音楽をヘッドフォンで聞きながら大の字になり、全身の力を抜いて音楽の世界にトリップし、無心になるという技も身につけました。
携帯が防水のおかげで半身欲も楽しい。
全身の余計な力が抜けると、人生への余分な力みも抜けてほどよい力加減で生きていけそうな気にもなってくる。
最近は食についても色々考える。
何せカロリー取りすぎだと努力が水の泡なので減らないにしろ、絶対に増やしてはならんという意気込みでがんばっているものだから、まんべんなく栄養を取るということにも気をつけている。
栄養が偏るとやっぱり「何か欲しい」感が抜けない。
あいかわらずよく噛まない癖は直らないけれど。
だいたいアイディアっていうのは歩いているときに結構浮かんだりします。
何かの信託のようにふっと降りてくるのですね。
タモリさんが元気なうちに「世にも奇妙な物語」の映画版原案自分で作っちゃいたいなとか、早く名前が売れて有名になってニッカウィスキーにアプローチしてイギリスにまで飛んで小説の取材したいなとか、携帯版朗読小説まとめないととか、ファンタジー小説ちょっとずつ書いていかないととか、ああホラーもあったし、とにかく色々やりたいことがありすぎて逆にやる気なくす(笑)。
この辺の集中力散漫なところも直さないといけないのに。
などと思いながら歩いていると勝手に独り言が多くなり、いかにも不審者そのものであります。
寺山修司は生涯を通して「ひとつの疑問符」であり続けたけれど、自分は「示唆的」なものでありたいな。
言いたいこと言って結論まで導くのなら大学の先生にでもなっちゃって論文書けば済む話が、わざわざ小説を書くのは結論を言いたいわけではなくて、あるひとつの側面を提起するためなのだから。
電子書籍の波が襲ってきている。
大手の出版社は旧体質から抜け出せずに自分たちの利益を守るのに必死。
経営のスリム化、既存の利益の確保、相変わらずの「消費思考」。
その影で人が犠牲になっている。
というより、もういいんだよ、きっと。
会社っていう場所に固執しなくても、悪い体質だと思ったら自分で新しいアイディア出して挑戦していかないと。
ずっと座っているのだから歩かないと。
自分の体を維持するのは大事。
体重の増えすぎは長い時間をかけて体に負担を強いる。
かといって運動のしすぎは逆に体を壊す。
健康であるということは体内のバランスを維持するということだ。
体を維持させるということは、全身の筋肉をまんべんなく使い、摂取するものが隔たることのないよう気を配る。
好きなものばかりを食べない。
嫌いなものはうまく調理する方法を学ぶ。
「利益」と「消費」。
ゆるやかに循環するのはよいかもしれないけれど、体で考えるととっくの昔に壊れてもいいほどの激しさで循環している。
これからはもっと自分の体と対話しながら色んなものを考え直していこうと思った春の1日。
まずは歩き出そう。
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