眠らないで、ずっと起きていられたら、どんなにいいことかと思ってしまう。
寝るのが惜しい。
考えたり、情報を集めたり、情報にならない情報を目に入れたりしているうちに時間は過ぎる。
生身の人間よりも、別のものを相手にしているような感覚は昔はあったけれど、今はあまりない。
養老さんが「無意識を否定しているから睡眠も人生の大事な一部だということを認められない」だか、なんだか書いておられたような気がした。
でも、思うに、起きて何かしていたほうが、ずっと有意義のような気がしないでもない。
アメリカでは別に気にならなかった、時間から追いたてられるような恐怖感が、日本に帰ってきてからはすっかり戻ってきて、毎日が追い立てられているように過ぎる。
どうしてこんな気持ちになるのかすらわからないが、おかげで眠ることすら惜しい。
日本人は細かすぎる。
スケジュールや電車でさえ分刻み。
五分遅れてきたら腹が立つ。
どうしてだろうな。
でも眠ることにする。
眠らないと、ぼんやりしすぎて何がなんだかわからない。
それでも、寝ることに抵抗があるのは、これも強迫観念なのだろうか。
ゆとりとは、自分だけで作るものでもないのかもしれない。
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