最近、小説を書いているという言葉で紹介されただけで、初対面の人から石をぶつけられることがある。
本当に何もしていない、ただ私は黙って座っており、話しかけてもいない人から突然暴言を吐かれるのだ。
例えばこれが詩だとしたらもっと蔑むような感じで受け止められることは目に見えている。
詩は日本において「ポエム(笑)」と理路整然としてない文章への侮蔑的な言葉として扱われることもあるし、小説なんて今やネット小説家は掃いて捨てるほどいる。
その表現者達の大半は自己主張が強く我を人に押し付ける。
ネットでもその手の輩は沢山いて、何か意にそぐわないことを言われると突然つむじを曲げ・・・るくらいならいいんだけれど、機嫌を損ていることをあからさまに態度に現し、挙句の果てには文句まで言ってくる、所謂社会人としてヤバいヤツ。
持っていないのに自信だけはあるというやつだ。
つまり「自己中」の代名詞と同意に受け取られる。
自分も昔は作品があるからお金を出してくれと他人に無心した事が何度もあるため、いわば罪人扱いされてもしょうがない人間なのだろうけど。
過去の大作家に自分を重ね、例えば石川啄木や太宰治や正岡子規、坂口安吾や北原白秋等、借金ストーリーはちらほら出てくる。
今ならサラ金やカードローン等様々な手段があるけれど、人から借りるとなると、色んな意味を含めて「惚れてもらう」ことでしか出してくれない。
恋愛として惚れられる。才能として惚れられる。
だから出してくれる。
そんな惚れられてもいない相手に金を出せなんて言うのは強盗と一緒なんだなと、今ならわかるが、昔は認めてくれない歯がゆさで人に嫌気がさしていた。
突然石をぶつけてくる人たちは過去に小説家と何があったのかわからないけど(そういえば年配の人が特にそうだ)、特に親しくもない人間に他人伝いで小説書いてますと紹介されただけで暴言吐くって、そりゃいくらなんでも非常識な私だって悲しくなりますし、その後悪酔いします。
小説を書くことは因果なものだし、時として重いものを背負わなければいけないことがあるけれどさ・・・。
前科者に等しいのかもしれない。石をぶつけられてもしょうがないのかもしれない。
書くことを断念するということはないだろうが、小説を書いていることを自己紹介として、ここ数年は自ら言ったことはない。
そして金輪際自分から書いていると言うのを止めようと思う。
小説が馬鹿にされるのだ。詩ならトイレの落書きだろう。
私はトイレの落書きをずっと書いているような人間だから。
少なくとも詩が社会の共通的な認識として「少し恥ずかしいもの」や「侮蔑語」として扱われることの深い悲しみと怒りは誰にも伝わらないものとして抱え続けている。
小説もまた似たようなカテゴリーで扱われていることを肌身で感じているのだ。
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