そういえば、グーグルってなんだろう?
という単純な疑問から読んでみた。
ちょっと前に、「情報」のことを考えてみたのだけれど、検索エンジンもひとつの「情報」だ。
だって、検索して10ページまで見る人は、ほとんどいない。
だいたい検索して上位に出るものしか見ないわけです。
それで、先に書いたブログのように、「情報の発信者になんらかの圧力(偏見・情報不足など含む)がかかった場合、情報の受け手は真実を見抜けない」という内容を書いたような書かなかったような気がしたのですが、じゃあ検索エンジンはどうなのかと。
皆さんグーグルってタダのプログラムか何かだと思ってませんでしたか?
実質的にはそうなのですが、ちゃんとした会社組織が運営しているようです。
会社だってこともよくわからないですよね。
私もグーグルってよくわからなかった。
一口で言えばグーグルは「検索エンジンを使った世界規模の広告代理店」のようです。
そのほかにもサービスは拡大しております。
このブログにも上にグーグルの広告がありますが、あれ、全自動で出てきます。
というグーグルなのですが、検索上位に出てくる情報はいかにして絞られるのか、という部分では、どうにも人為的に(プログラムといえど人が作っているので当然ですが)操作できるようなのです。
となると、これが大きな権力を持つ組織や何かに圧力を加えられた場合・・・と、仮定したのですが、どうやら圧力の事実があるようですね。
これから、小さな端末によりたくさんの情報や機能が集まる時代になります。
クレジット機能がついた携帯の次なるステージは、携帯のネット化(HPを携帯で完全に見れるようにする)及び、クレジットで携帯ネットショッピング、携帯キャッシング、携帯セキュリティー強化(マンション・家のキー)、携帯ネットオークション・・・ブロードバンドやダウンロードなどのオンデマンドはすでに携帯でやりはじめています。
これらをさらに強化していくでしょう。
(現金を目で見れなくなると、破産する人もたくさん出てきますよ)
推測するにヤフーが携帯業界に入ってくると、必ずこれをやるはずです。
他にもリアルタイムでニュースはわかる。
天気予報もわかる。
すべてがリアルタイム進行で情報が今よりも洪水となって流れてくる。
その中には、真実が伏せられた事実も多くある。
となると、より個人の責任が高まり、より個人での情報収集に責任がかかる中で、頼れるものといったら検索サイトになってくる。
ニュースサイトしか信じないという人も出てくるかもしれない。
で、「検索サイトは本当に意図的なものはないか」と言ったら、どうもそうじゃないみたい。
これは、もっと「情報の受け手」が賢くなれってことですね。
二冊とも共通しているのは、「新しい商売の方法」が書かれていて、これから、どういう商売がより効率的なのか、そして他社がどのようにネットを利用すべきかのヒントが書かれている。
大企業のやり方と、中小のやり方が違うように、それぞれ独自の戦略を有効に組めるようになったのもネットのおかげかもしれない。
それで、上記したように、どう考えてもあらゆるものがネットに重きを置いてくると思うし、ユーザーもネットに期待すると思う。
その中で起こるのが、一極集中という不可思議な現象。
いろんなものを調べるのに、一つぐらいしか検索サイトを使わないし、ショッピングでも品揃えがよければ、あまり多くのサイトを観覧したりはしない。
「情報」というものに対しても「一極集中化」が起こる。
より端末がプライベート化していくごとに、「与えられる情報・サービス」も「プライベート化」する。
これは裏を返せば、ひとつの「管理社会」が生まれることになります。
たぶん、ユーザーは管理されることにまったく抵抗を感じずにサービスを受けていく。
言い換えれば「情報に飼いならされる」わけですね。
少なからず、現代でさえそうなのだから、これからもっとその状態が加速化するわけですな。
こういう未来があるというのに、どうして教育で「ディスカッション」の授業をやらないのかと疑問でならない。
より多くの価値観や、まったく異質のものに接して、建設的な思考を組めるように訓練しなければ、これからの時代生き抜けないと思うのだけれど。
ところで、余談なのですが、本に書いてある通り、グーグルやアマゾンが一人勝ちしていくのかなと思うと、最近はインドががんばっている。
これはまた直感なのだが、インドは数学に強いし、教育にも恐ろしいほど力を入れている。
今はアメリカなどの下請けでソフト受注などをしていたりするが、これが、それこそグーグルをしのぐようなプログラムを組んだりするソフトの力をインド自らが握ったら、アメリカとインドの立場は逆転すると思う。
インドにはカースト制度が廃止されたからと言って、まだ人々の偏見的な気持ちまでは完全に変われたとは言えない。
だが、もし、カースト制度の身分の中にさえも入っていない、アチュートと呼ばれていた人たちから、富を握る権力者が出てきたら、ほんの少しずつ変わってくるのではないかと思っている。
たとえそれが、インド内部からは不可能でも、海外で力をつけた権力者がインドに戻ってくることは充分考えられる。
恐らく、10年、20年と長い時間をかけて変わっていく、潜在的な超大国だろう。
検索エンジンはプログラムで動いている。
グーグルは全世界の情報をファイル化しようとしている。
だが、グーグルが生まれたように、インドの中でもグーグルを凌ぐ何かが出てくるかもしれない。
もしかしたらそれはインドではないかもしれない。
だが、「グーグル」が他の文字に変わろうと、「情報」に対する危険性はいつの時代も変わることはない。
「どう情報とうまく付き合っていくか」も、これからは個人の責任でしかない。
まるで集団が情報に分断されて、まったくの個になっていくように。
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