酔った勢いで、でかいことを言う人間は数多くいるし、できるようなことを言って何もしない人なんて吐いて捨てるほどいる。
人を信じさせるには結果を出すしかなくて、未来の不確定なことを他人は滅多に信じない。
だいたいは楽観的には見ないものだ。
それが現実だし、大人の社会というものだろう。
だからこそ信じてくれる人や応援してくれる人はとても大事で、そういう人たちの存在に気がついて、きちんと応援してくれた以上のものを返していかなきゃいけない。
それは責任感というものではなく、幸福を分かち合うということ。
一人暮らしのおばあちゃんがいる。
現在入院していて、1ヶ月ほど家を空けている。
隣の人たちが心配してくれて、花に水やらをあげて枯らさないでいてくれている。
「大事になさってくださいね」
と声をかけてくれる近所の人の姿を見ると、とても一人では生きていけないような不自由なおばあさんでも、この周囲の支えがあるから生きていけるのだと思った。
その一方で、周囲から孤立している人も同時にみている。
自分が常に被害者で、自分が常になにかをしてあげている本人で、相手のことをまず置いておいて、自分主体でなにかを言ってきたりする。
本人はしてあげているという意識が強く、されたことを無視して自分がしたことを大きく言う。
時には自分を大きく見せるために、他人をけなすようなことを平気で言う。
自分の行動を支持してくれる人だけが周囲にいて、自分の都合のよいことだけしか認めない。
そういう姿勢が見て取れる。
対照的なケースだ。
おばあさんは自分のことを犠牲にしてまで、いつも周囲に尽くしたりする。
丁寧なお礼、挨拶、ひとつひとつのこと細かな礼儀が、周囲の好感を呼んで、いまだに見放されず心配されるのだろう。
見習うべきものと、教訓にすべきもの。
自分は大きなことばかり言っている。
まだ言ったことは叶えてはいない。
しかし、これから必ず叶える。
信じさせるための結果を出していかないと、人は信用してくれない。
自分が辛いんじゃない。
他人が辛いんだ。
他人がしてくれて、他人が見守っていてくれて、あたたかなものに囲まれて、そういうものをむげにしちゃいけない。
だから戦わなきゃいけない。
あの酔っ払いの言葉は本当だったと信じさせなきゃいけない。
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