不安。
不安とは得体の知れない未来予測だ。
つまり「もしかしたらこうなるかもしれない」というマイナスへの想像性への飛躍でもある。
未来は何も決まってはいない。だけれど経験的に「こうなるだろう」という核心めいた、かつ漠然な物事が膨らみ、自らの中で暴走をし始め、さらにグレードアップすると不安を共有することによって固められる。
それは「うわさが尾びれをつけて広まる」ことと何一つ変わりはない。
さて、不安とは何だろう。
自らが守っている何か大事なものが脅かされようとする時不安は広がる。
その大事にしている、時として漠然でもあるこれが脅かされるとは、自らの日常に変化が及ぶという小さなものでも人は不安を抱く。
その不安感を取るにはいったいどうすればよいのか。
あくまで相手の日常性の延長線に、より豊かな日常が存在するということを示さなければいけない。
さもなければ、ことごとく全ての行為は無に帰すだろう。
どれほど説得しようとしても無に帰すのは何故なのか。
人は習慣の生き物であるに他ならない。
人は慣習の生き物であるに他ならない。
だからこそ、その個人としての習慣と、集団としての慣習とは何か、よく捉えなければ人を動かすことは難しい。
不安の原理とは、それほどまでにプライベートであり、プライバシーなものだからこそ、この二つの側面を大事にできないものは、ことごとく信頼を失うことを明記しておく。
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