皇后様
「来(こ)し方(かた)に本とふ文(ふみ)の林ありて、その下陰に幾度いこひし」
天皇陛下
「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」
コメント
あまり深読みはしたくないと思いつつ、今回は一種異様な感触がぬぐいきれず聞いておりました。
まずマイナスの要素の語や力の要素のある語が合わせて3つもあるということ。
皆「書籍」の方の「本」で詠んでいたし、皇后様も「書」で詠んでいたところ、何故いきなり「根本」の「本」なのか。
稲は束で植えることが多く、その根本に鎌をあてがうということは一個人に対する感慨ではないにしろ、「一本二本」と数えていく実る稲穂は「本」の集合体であり、そして実るものは「生」あるものです。
素直に取るならば収穫の大変さと、そして少ない面積でも時間のかかるようになってしまった様子を描いているとも取れますが、「夕やみのせまる」という言葉が強烈過ぎて、後の句の印象を引っ張っています。
時間がないことを印象付けさせますし、暗闇が訪れる不安感も同時に植えつけさせます。
田んぼには区切りがあり、その中のことをさしますし、農作物を実らせる一つの区画であります。
この中で種を撒き、育ってきた命を刈り取るという行為を繰り返していますね。
そのサイクルをどこかで断ち切ると、田んぼではなくなりますね。つまり「田」は人工物です。
この「田」を一つの「枠」と捉えると、あらゆる区画にも想像が及びます。
大は「国家」から小は「地域」まで。
そして「実る」ではなく「稔る」。
「念」が入っていますし、「豊稔」「稔熟」という使い方をするそうですね。
結構豊かな意味とセットで使われる漢字みたいなので、やはり「稔り」は「幸福」そのものであると、この漢字からも取ってよいでしょう。
そして昔から稲は神や祭りに直結しています。
民や財物の存在と考えても通じるところがあります。
そこに鎌を入れて切り取り収穫しているのではなく「あてがって」いるのです。
刈り取られるものと刈り取る者。
本当に深読みはしたくないのですが、これを陛下のメッセージだと取ると、よほどの事態だと考えてよいかと思います。
ただの思い過ごしであって欲しいです。
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