先週、藤沢周平小説を片手に山形県まで行ってきました。
最近は山田洋次監督が藤沢周平作品を映画化しておりますが、その藤沢周平が生まれ育ったところが山形県の鶴岡市なんです。
それでロケ地も鶴岡周辺ということで、どんなところか小説片手に行くのも味なものと思いフェリーに乗って行ったわけです。
フェリーは苫小牧港から秋田・新潟港行きのが出ていて、冬の日本海もなかなか乙なものとか思いつつ、甲板に出て出航後20分で飽き、やっぱり寒すぎていかんと震えながら船内に戻りました。
なんせ片道5000円とちょっとでいけるので、飛行機で行くよりずっとお得です。
今は札幌から東京まで航空運賃は一万五千円を切っているのですが、地方空港は東京より近いといえど二万をゆうに超えるのが普通です。
それでいて、鶴岡市内には「空港を利用しよう」みたいなことが書いてあって、唖然としながら見るわけですなぁ・・・安いほうがいいに決まってるのにね。
「フェリー」
秋田につくまでに「たそがれ清兵衛」と「暗殺の年輪」を読んで、初めて藤沢周平小説を読んだのですが、すっかり藤沢ワールドにはまってしまい、切々とした人情味溢れた世界と野の花のような、目立たぬながらきりっとした人物と世界描写に恐るべきものを感じつつイメージを膨らませておりました。
「たそがれ清兵衛」は、色んな性格の剣士がいて、それぞれ剣を抜く理由があって、その剣を抜く背景に人生観があるのです。剣士というからには男っぽいイメージを思い浮かべるかもしれませんが、家庭や女性への淡い気持ちありの「人間」のお話です。だから正確には「剣士の話」というには多少語弊があるかもしれませんね。
それで、こういう土臭さや人間臭さが藤沢周平の魅力なのかと思いつつ、「暗殺の年輪」を読むと、最初の「黒い縄」で、土臭さが一気にバシャリと水で洗われたようにおもむきの違った女性の切ない恋愛の話になっていて、船の中で目頭と胸を、しとっと濡らしてしまったわけです。
藤沢周平の作品は権力や事情など、どうしようもない事情に振り回されながらも自分の道をいく人の姿がよく描かれています。
もうこの二冊で、すっかりやられちゃいまして秋田に上陸しました。
苫小牧港を19時に出て翌日7時あたりに秋田に到着したのですが、秋田港の近くに綺麗なビルがありましてね、行きの時はなんとも思わなかったのですが、帰り駅から港まで離れていて、タクシーで港までいったものですから、なんですか?あれ、と聞くと、展望台と言うものですからさぞ夜景が綺麗なのかと聞くとそうでもなく、「夕日は綺麗ですよ」との言葉に、じゃあ夕日専用の展望台ですかと突っ込むと、いわゆる第三セクターってやつで、無駄な金かけて意味のないものを作って、結局無駄になってしまって借金残るってやつだったみたいです。
「札束の塔」
秋田の人を代表して言っておきますがね、「金返せ!」と。
人の金だと意外にバンバン使えちゃう神経ってよくわかるのですがね。
そういう神経になるとワルですな、ホント。
秋田駅はそこそこ都会というにぎわいですが、そこから普通列車で三時間ほどかけて山形までガタゴトとゆられながら行くのです。
行きのフェリーでも多少揺られましたが、今度は陸でゆられて行きました。
以前新潟に行ったときも、ひたすら田んぼ、田んぼ、田んぼ、田んぼ、という見渡す限りの田んぼを見て、やはりすぐ飽きたものでしたが、今回はっと気がついたことがありました。
秋田の農家の顔って燻されたように土っぽくて、頬がほんのり赤いのですね。
ぽつぽつと列車に乗っている人の顔の後ろに広がるのは、田んぼ、棚田、山、民家しかありません。
それを見ると、「ああ…これが日本なのだ」と気がつきました。
「庄内平野」
札幌という都会に住んでいると、東京や大阪のような大都市が日本の姿なのだと大きく勘違いして暮らしていたのですが、この田んぼと棚田と山と素朴な民家の姿こそ、本物の日本の姿で、自分は今まで何も気がつかないで生きてきたのだと思うと、この自分ののぼせ上がった暮らしにショックを受けると同時に東北の寒い地で何百年もの長い間暮らしてきた人々の暮らしを思うと、ぐっと涙が出てくる気持ちになりました。
金があるから、何でも買えるというのではなくて、一生懸命農作物を作って食料を供給している人々、第一次産業に従事している人々こそ、この日本を影で支えている大きな功労者とも言えます。
このことを考えると米や魚や野菜などなどはおいそれと扱えなくなりますね。
山形に入って酒田から乗り継ぎで鶴岡までまた移動したのですが、ところどころに白鳥が見える。
縁起がいいというか、のどかというか、暖冬のせいでそれほど積雪もなく、田んぼが雪に覆われていないために食べるものがあるので恐らくいるのでしょうが、雪じゃなくて雨が降っている。
話を聞くとやはり暖冬で今年は積雪量が激減しているらしい。
暖冬のおかげで札幌も雪祭り前に多少雪がなくて困っているのです。
こちらの雪は北海道でのさらさら雪というよりも、雨に近い。
雪もちらりと降ったのですが、湿り気をおびた重い雪が、じんっ、じんっ、と降る感じでこれが屋根に積もったら家が潰れるのもよくわかるなと納得しました。想像していたよりもずっと重い感じが雪から伝わってきます。寒いと軽いのね。さらりさらりとした感じで。でもこっちは重い。
鶴岡の天気は、ぱっとせず、ほとんどぐずついてはいたのですが、やっぱり小説を読むと多少なりともイメージがわきます。そういう小説内のイメージをなんとなしに駅前は裏切ってくれますな。
どうにも寂れたような感じが否めない。映画も撮って町おこしの起爆剤にもなるだろうに、もったいなさすぎるなと思いました。
でも、都会に行くとすれからしっぽい若者がちょくちょく見えますが、ここはまだ女子校生がスカートの中にジャージという、緊張感のなさすぎるありえない格好でのんびりバスを待っていたりするので、まだのどかなんだなぁとしみじみ思ったわけです。
初日は日本海を見ておしまい。
雨が降っていたとはいえ、荒れ模様ではなく、重々しく鎮座しているような海模様でしたが、何日か張り付いて海模様を観察したほうがよいものが見れたように思います。
また、ここから日本海を望む機会をまた作るかと思い、まずはさよなら。
駅前のホテルの部屋で現地のニュース番組や地方新聞「庄内日報」を見つつ、地方新聞なりのほのぼのとした話題に微笑みを浮かべておりました。
思い立ったら矢のように飛び出てくるものですから予定などなく、明日はどうしようかなどと考えつつその日はおしまい。
「曇り空の日本海」
つづく
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