芸術における才能に対してなぜそのような希望的観測で物事を論じるのか。
実力や才能と言うものはあり続けるものではない。
使っていなければ消えてしまうということをその人は知らない。
もし、完全に鈍ってしまえば、取り戻すことは困難を極める。
エジソンは「天才とは1%のインスピレーションと99%の努力でできている」というようなことを言ったらしいがほとんどの人間は勘違いしている。
努力すればなんとかなるのではなく、そのインスピレーションという源泉がなければ99%の努力はいずれ枯れる。
物事を達成するまでの道筋はひらめきを地盤にして動き出す。
「こんなことができたらいい」「あれをしたい」
それを99%の努力で限りなく100%まで近づける。
それは強い金属のばねをつけたエキスパンダーのようなものだ。
ただやみくもに何かをすればよいと言うわけではない。
だから何もするなと言うのではない。
目標と道筋を明確にせよということだ。
私は安易に「夢は叶えるものだ。いつか叶う」とは言わない。
この言葉に苦しむ人間だっている。
私は言う「夢を叶えるための階段は飛ばして上ろうとするな」。
希望だけ与えて教訓を与えないものは悪人だ。
なぜなら希望だけであふれているわけではない。
しかし絶望だけでもないのだ。
いつかは抜こう。
夢は花開く。
ただし、「夢」というものが何かわかったものだけにだ。
進め。
[0回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E8%8A%B1%E9%96%8B%E3%81%8Fいつか花開く