いろいろな人のつぶやきを見ながら、いろいろなことを考えるようになって、とても刺激を受けているけれど、自分の腕のなさや見識のなさは自分でも呆れるくらいで、つくづく低いレベルであれこれやっていた自分をとても恥ずかしいと思いながらも、「ま、やるしかないし。今更恥ずかしいも何もないし」という気持ちで押し切りながら、ここ三ヶ月ほど勉強させてもらっている。
自分がどれだけいろんなものに関心がなかったかも余計にわかって、逆に食いつくようにして色々な人の思考を追っている。
ずっとやりたかったのは、こういう人間のダイナミックな感情の流れを把握することにあった。
携帯を変えてちょっと便利になってツイッターをやり始めた程度でこれだけ意識が変わるとは思ってもいなかった。
時折はっとするような優れた言い回しなどを見ていると、悔しいと思う。
自分の非力さを逆に呪う。
「言葉で世界が変わるか」
野心のある作家ならばどこかにこの言葉は頭に浮かぶ。
そしてその野心ゆえに精神がボロボロになったり最悪の場合は死んでしまうこともある。
はたから見たら「ただの自殺」にしか過ぎないくだらない事情の中には「ゼロから有を生み出す精神活動」がある。
その中身は当然誰も知らない。
常に当事者ではない限り、作った作品や発した言葉を通じて何を感じ何を考えたのかを受け取るしか方法はない。
そしてちょっとしたことで影響を受けて精神が変化することもある。
人は自分で思っているほど自分のことは理解していないし、どのような精神活動をしているか、はっきりと追っているものはほぼいない。
だからこそ「芸術家の自殺」を簡略化して理解しようとする。
精神的な把握をする人間はだいたい芸術関係に携わっている人が多い。
音楽家や俳優や作家、陶芸家、絵師、先鋭的な建築家などなど。
こういう人たちは「余計なノイズ」を嫌う。
「余計なノイズ」とは「人」。
人から影響を受けるのは当たり前なのだが、諸刃の剣でもある。
よい影響だけ受けるわけではないし醜い感情も受けていかなきゃいけない。
当然自分の中からくるものもある。
正直、心の底の泥をすくっていく作業はハンパなく時間がかかる。
たった5秒の出来事でもあるのに、浄化するのに2時間以上とか。
当然自分から湧き出たよくない感情ではあるけれど、なぜにこうまでやっかいなのかわからない。
思ったことをつぶやけるのは便利だ。
手軽だし残せる。
とりあえずつぶやいてはいるものの、将来自分の言葉を否定するときも来るかもしれない。
それもまた楽しみではある。
人と人とが繋がり進歩していくのはとても楽しい。
新しいことやり始めないとという気持ちにさせてくれる。
人は自分の考えを肯定してくれるものだけ集めると、だんだんと排他的になる。
気をつけて自分と相反するものも観察していかないと、どこかで狂ってしまう。
よい意味でのブレインミックス。
[1回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8Dついったーでのつぶやき