高校一年生の頃、とある芸能人の親である人が担任だった。
その人の死を知ったのは芸能人のブログで知った。
つい、二・三年前くらい。
先生は恐らく僕にだけ本を贈ってくれた。
「豚の報い」という芥川賞受賞の本だった。
そこに芥川賞選評の記事のコピー。
それが先生の僕への遺言のようなものになったと言っていい。
終業式の日、国語の先生と担任の先生に花を渡すためにずっと職員室の前で待っていて、花を渡し、教室へと入った。
遅刻癖があり、ギリギリのタイミングで入っていたけれど、どう見ても終業式の日は遅刻。
それを見ていた同級生が僕が皆勤賞をもらっていたのを不正だといきり立っていた。
おかしいだろ、おかしいだろ、と怒鳴っていた。
僕は皆勤賞なんてどうでもよかった。
遅刻だろうがなんだろうが、よかったんだ。
僕も最後の日、教室に先生がいなかったからうやむやになったけど、皆勤賞なんてもらえるように真面目に教室には行ってなかった。
遅刻魔だったしね。
授業をサボりこそしなかったものの、皆勤賞はもらえないとは思っていた。
先生の、僕への温情。
ただそれだけの話でしかなく、そんなえこひいきのようなものは他人から見てふざけたものにしか過ぎない。
今でも捨てられずに取っておいてる芥川賞の本。
今読んでもそれほどでもないよなぁとか思いながら、又吉栄喜という作者のウィキを調べたらまだ書いていた。
芥川賞作家はほとんどが消えていく。
だから書いているのを続けられているのがとても嬉しい。
表現ということにとりつかれた人間は総じて病気だと僕は思う。
その病気から治らず正常じゃないところで頑張っていたんだと思うと、自分の心もほっこりするし、先生が残してくれた本が、その場限りのものではなかったんだと思えて、嬉しくなるのです。
高校一年が一番狂ってて、親にも相談がいったそうだった。
家庭科の先生には卒業式の日に「高校一年の頃のあんたは見ていて気持ち悪かった」と言われたほどだった。
一番おかしな頃だったのだろう。
自覚もあるし、原因も分析できる。
それでも何故だか、目をかけてくれた。それだけはわかる。
なるべく過去を忘れようとしていた。
精神がねじまがっていたから、ろくな記憶、というよりろくなことを覚えていないからだ。
でも二十年経って、ようやく好意的に見られそうな気がしている。
もう、そんなに時間が経ってしまったんだね。
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