つくづくもろい心だと思った。ちょっといいなと思っていた異性が親しい友達と付き合っていると知ったときの切ない胸の苦しみや、誹謗中傷されたときの殴られたような心臓の痛い動悸、そしてそれが自分でも現在どうしようもないくらいに向き合っているものに対して、たたみかけるように何人にも言われたとき卑屈になる己への腐りはてた感情や、他人をうらやんで皮肉や意味もなく否定したくなる下衆な感情、誰かを見下す気持ち、誰かを冷静に観察する気持ち、とにかくすべてが自分の財産で、すべてがもろい精神の上で、まるで平均台の上に片足で立っているかのようにバランスを保っている。
いくつもの故人を思う。自ら命を絶った巨人も多い。人と向き合うには、常に戦う気持ちがなければ死んでしまう。本気で芸術をやろうとするものには、死を意識するものがある。
いつか自分も踏み外してしまうのではないかと思いながらも、結構生きることへの執着が強い自分。同時にもろいものをあわせ持つ。真の芸術家は政治家にはなれない。欺瞞の中に真の芸術は出来上がらないからだ。
真実を否定する民衆の欺瞞を暴きだすのが、時代における芸術といえる。あとは、個々の活動に過ぎない。
いつも考えることから逃げる。行動することから逃げる。
何もありはしないのに。
もろい自分が大好きで、安定することが怖い。
失いかけ、少しだけ思い出した繊細さともろさを失うのが怖い。
何も描けなくなってしまうのではないかと、不安になる。
静まり返った雪の夜が大好き。静まり返った街。
幻想的で、朝の光と共に消滅するもろい静寂。
嘘は要らない。真実だけでいい。もろくて孤独な心を引きずって、いつままでも子供のままでいるのだろう。
さよならを言う準備はまだできていない。
苦しくても、孤独でも、悲しくても、伝えなければならないことは山ほどある。
伝えることに完全に絶望したときに、きっとようやくこの世に見切りをつけるのだろうと思う。
最後の言葉をどうするか。
それを考えるのもなぜかしらないが、わくわくする。
「私は人間に絶望した。しかし、希望にまで絶望したわけではない」
せいぜいその程度の男になりさがるかもしれない。
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