昔バーで歌い終わった時「いい声だね。あんた、親に感謝しなよ」と見知らぬ女に言われた。
声に関しては自分でどうにかするのは限界がある。
遺伝子あるのみで、声質だけは天が与えたものに他ならない。
もし、小説という範囲だけにこだわっていたら気がつかなかった別の大きな道が、今自分の前に広がっている。
シナリオ、そして演技。
面白いことに声を出すと小説を書くよりも人が強く集まってくる。
知らない人から沢山好きだと言われ告白もされる。
不思議な世界だけれど、そんな今まで接したこともないような世界もあるのだと知る。
未だにこの世界のことをあまり理解していない。
なんせ声優の世界はアニメのキャラと直結しているし、個人の好みによるところが大きい。
それでも一度価値を感じてもらえると、ずっと居てくれるくらい根強いコミュニティができる。
電子書籍が出始めてから様々な論が出てきた。
でも本から伸びゆく世界の話をする人間はいなかった。
今僕は小説からシナリオに形を崩すことを覚え、演技もやりはじめている。
そしてゲーム、音楽、映像、プログラム、コスプレ、ダンス、絵、映像とチームを組んでやり始めることを少しずつ学んでいる。
誰も誰一人として僕が考える世界観の先を話す人はいなかった。
皆本を本の中に閉じ込めたまま籠の中から出さなかった。
当たり前の話だ。
飛ぶ鳥は皆恐い。
解き放ったら、自分のものではなくなるし、どこへ飛んでいくのかわからないのだから。
逆から言うならば、未来を語れる人間が何故少ないのかというと「自らに制御可能な籠の中の鳥」の話しかしないからだ。
実際、この「飛ぶ鳥」にやられる人が多い。
ほとんどの人間が創造力の限界を迎えるのは、自分の手を離れて、自らをも飲み込むような巨大な怪物になればいい、という発想をしないからなのだ。
もう古典SFの方が未来を学べる。
その世界が目と鼻の先に。
だからこそ、大きな、大きすぎるほどのスケールで物事を語らないと、追い付かないほど変化の波は激しくなっている。
既存のモデルケースを自ら破壊できる人間でなければならないし、自分というアイデンティティーさえも壊さなきゃいけないときも来るかもしれない。
そのような作業は誰にでもできるはずなのだ。
だけれど言葉で知るほど人間は「無知の知」を知らない。
新しい領域は全てが攻めの姿勢でなければ学べない。
もう、概念はAIが作れるとしたら、いや作れるのだから、人間が出来うる本物の芸術活動とはなにか。
人類の芸術家は、その議論から始めなければいけない段階まで来ている。
既存のものは基礎にはなっても未来にはなり得ない。
私たちは「ZeroKelvin」絶対零度。
人を動かす熱量まで高められなければ、原子の活動は止まるのだという戒めを持つ団体。
皆参加すればいい。
生活するには最も無駄と思われる「芸術」という分野で志を持ちたいのならば、ぜひとも集って我らが世界の感性の中心にならんことを目指そうではないか。
芸術家は既存の概念と常に戦わなければならないのだから。
己の才能の可能性に愚かしいほどの自負をもって時にはピエロになり笑いを与え、時には恨まれ、そして時には誰かの心をそっと気がつかぬように和らげ癒すのだ。
集え、集え!
我らはクリエーターギルド。
「ZeroKelvin」
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