長らくネットで暮らしてきた。
ネットに流れる文字から色々な体験をした。
都会の人ごみのように一度会って流れ去るのに、自由に発言して、自分のどのような心情でも遠慮なく言える。
たくさん傷つけ、傷つけられた。
人生が充実していれば、ネット依存になることはない。
ネットに依存する人間は、ある魂の欠けたような違和感と孤独感を持っている。
一時の刹那の中で、魂のぬくもりを見出そうとする。
日常では言えないことを言う。
自分もそうだ。
ただ、自分の場合は、もう日常でも話せる人なら日記に書いているような内容は遠慮なく言えるようになった。
その分、嫌煙されることも少なくない。
自分で言うのもなんだが綺麗な人間じゃない。
表舞台にいるには難のある人間だ。
それだけに、人のいろいろな部分を見た。
それだけに、自分の中でぬぐいきれない孤独を感じた。
人は結局人を信用しあってないようなところがある。
それはネットにいるからより強く感じるのかもしれない。
日常でも、己の汚い部分が見え、他人の汚い部分が見え、時折吐き気がするときがある。
こんな心持で生きていけるのかと思ったりするが、なんてことはない、自分がへなちょこなだけだ。
文字は残る。
だから過去にさかのぼって現在をまったく無視したアクロバットな誹謗中傷も可能になる。
高度経済文明とは、己が汚いことをせずとも、誰かが代わりにやってくれてその恩恵に預かれる特質がある。
人間はどこまで傲慢になれるのか、どこまで潔癖症になれるのか、無菌状態にいる人間が、だんだんと抗体が弱り外で生きられなくなるのと同じように、汚いものを嫌悪するようになる。
ネットができ、出会うはずもないものに出会えるようになり、己の価値観を著しく踏みにじるものも勝手に流れてくる。
世界が広がれば、当然傷つく機会も増える。
誰かに傷ついてもらい、自分は傷つかない。
そういうことが可能な世界になってきた。
人が一方的になってきた。
それだけ、離れることが容易な世界になってきている。
人が、希薄になり、個々人が分断されていく。
情報化は、孤独を加速化させる。
しかし、時代は個人への特化したサービスをより追及していく。
うわべだけの言葉のやり取りの裏で震える孤独な魂の存在を無視してはいけない。
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