完璧な論理構造が正論とは限らない。
論理的に正しくないからと言って、問題点として扱えないというわけではない。
議論をするときに、言葉遊びなどどうでもよい。
「ロジックとして間違ってますね。その程度ですか」
そういう人は、ただ人をこばかにしたいだけでそれ以上のものはない。
不毛なコメントだ。
不確定なものに対して、「証拠を出せ」とかいう人間に対して「勘が100%間違っている証拠が絶対に存在しますね?」と突っ込んでみたい。
人間は感情の生き物で、心理的なものがロジックを捻じ曲げることは多々ある。
でもそれは確実に間違いとは言い切れない時がある。
心理的なものがシステムに関与しすぎると、間違いが多々起きる。
人は感情論ではこの人間社会を支配しているシステムを崩すことはできない。
システムに反論するなら、ロジックもまたシステム的である必要性がある。
論理構造としておかしくないもの。
感情的なものは一切省かれているもの。
人と構造は相容れない。
構造に支配されるのか、人が構造を支配するのか。
システムに飼いならされた人間が、「正論」なる「過ち」を犯しても別にどうでもいいことだ。
大事なのは、間違いからどう学ぶか。
間違いとどう向き合うか、だ。
やってみなきゃわからないことだってたくさんある。
自分は言うだけだったから、そろそろ自分が情けなくなってきた。
何を言われてもやろうと思う。
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