最初に私信ですが、だいぶ過去の記事まで熱心に読んでいただいてありがとうございます。
この「記録」も兼ねたブログもだいぶ前から書いているのですが、やっぱり過去の記事を見ると間違っているところもあるし、まだまだ甘いものもあるし、それを自分で確認できることは「ああ、自分ちょっと成長しているかも」と実感できることでもあるので、ずっと書いていますが、それ以上に書くことで、「過程」というものをしっかり積み上げることができるので、間違っていたとしても、その時に思った感情や思いを大事にして記録しています。
なぜってそれは、二度と出てこないかもしれないから。
どうしても小説は自分という体を通して書くものですから、自分も一つの観察対象として事細かに記録していかないと、いざって時になかなか投射できなかったりするのです。
その時何を思っていたか、どういう感覚で言葉を出しているのか、その「言葉の皮膚感覚」を記録しておかないと、後日書こうと思っても心の状態が失われているので「嘘」になってしまいます。
それは写真家が写真を撮ることによって、現地の皮膚感覚を記録し伝えようとすることと似たようなもので、私の場合は作品ができる前段階として数多くの「言葉の皮膚感覚」を記録しています。
そしてこのことは20歳くらいに「高校の頃より感覚が鈍っている」ということに衝撃を受けたことから、馬鹿にされようと罵られようと「子供らしい感性を自分の中に失わずに保存しておく」ということでした。
実際、この10年間、生活実態がまともではないことも重なり、罵られもしたし馬鹿にもされたし、白い目でも見られてきたし、元々まともな感覚ではなかったばかりか、ひどく鬱屈した精神を持っていたため、世間ずれし、社会と馴染めず、一人で黙々とネット空間で言葉を残してきたというのが事実です。
それには一つの理由があります。
つまり、いつまでもこの世界にしがみついているのは、具体的にどのようにすれば自分の能力が上がっているのか見えるのです。
これが見えるか見えないかはどの道にいようと、とても重要なことのように思えます。
自分が踏み出していくべき一歩先の道が確実に見えることはもちろんのこと、どこまでいけばひとつの区切りになるのかという、ある程度の先の状態、言い換えれば「自分の節目がわかる」ということは、自分の人生を歩む上で欠かすことのできない要素だと考えるわけです。
そしてこれがなければ、いつまでも迷い、同じところを行ったりきたりし、何かに常に振り回され、自分の力をふるえないまま無気力になっていくことが多いように思います。
目先のことにすら踏み出せない何らかの物理的・精神的束縛があった場合、どのような未来を思い描いていたとしても、踏み出せない場合が多いのですが、人間自分の思い描いたベストの状態から踏み出せるのは極めて幸運な例であり、それこそ宝くじを当てて豪邸を買ってから事を起こすというぐらい、可能ではあっても現実的には不可能に近い確立であるということがほとんどです。
だいたいそのような低確率の幸運を願うようでは絶望するに決まっているのです。
ですから、足りない状態から物事を始めていくというのが人生においては絶対条件だし、その過程の中で節目を作り「準備万端」にしていくというのが賢い生き方だと思うのですね。
このことは「商売」に置き換えるとよいのですが、「~だったらよかったのに」とか「~のせいでこうなった」とか、現状の前でそんなことを言ったからってどうにもならないわけですよね。
時代も変わった、ニーズも変わった、じゃあ自分の今までの状態じゃダメだ。
常に現状に即した形で物事を進めていかないと商売なんてできない。
ないものねだりをしてもどうしようもないので現状に即した形で進み、どうしても欲しいなら自分で作り出すか獲得するか協力を仰ぐかしかない。
これってつまりは「現状に対する全肯定」をした上で次の一手を打っていくという、「現状絶対肯定姿勢」でもあります。
結局「ないものでは商売はできない」という絶対原則でもあり、これを個人に置き換えると「ない自分で勝負なんかできない」ということであります。
弱みがある。
なら補うしかない。
強みはこれじゃないのか。
ならそれで攻めてみるしかない。
やっぱり失敗したよ。
なら失敗を徹底分析してノウハウを蓄積していくしかない。
重要なのは「失敗する経験」だと私は考えます。
この世界には弱い人間であふれています。
私もそうですし、たぶん他の人もそうでしょう。
でもなんとか生きている。
この事実は他社と接する上でのひとつの思いやりにもなって蓄積されていくと思うのです。
だからこそ、そういう人たちにも届くようなものが少しずつ出来上がってくる。
もちろん、弱者を徹底的に無視したサービスもあるでしょう。
高級感を出し、差別化を図るという意味で。
しかしそこでも大事なのは「人の弱さを知る」ことではないでしょうか。
困っているところを自然に補う。
お客のして欲しいことを先回りしてサポートしていく。
こういうことも徹底されていると高級感って味わえますよね。
ある意味こういうのも経験でもありますが「人の弱み」に関することでもあります。
そして弱みを知ることは何かを育てることにも直結していくことを実感しています。
対象の弱さを知り、サポートやカバーをすることができれば、それは育っていくのです。
植物のように。
たとえば土に栄養が足りないのかもしれない。
何かの原因で栄養がいきわたっていないのかもしれない。
こういう自分が携わっている土壌や、今目の前で育っていこうとしている対象とじっくりと向き合い、失敗を積み重ねることで、逆にそれが失敗しないための経験に変わっていく。
こういうことだと思うのです。
自分は弱い。
そして愚かです。
だからこそ「記録」しているという側面もあるのです。
以上のような理由から。
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