私は創る立場だから規制されると困るものもあるし、本当に少数ながら今ある事実を堂々と示唆できなくなると、その悪い勢力をけん制することはできなくなる。
そもそも、臭いものに蓋をしたからといって、臭いものは消えるはずもなく、ただ臭いが充満するのを防げるかな、という程度の話であって、根本的な解決にはならない。
それに、性欲などの本能にいたっては、理性の弱い人間ではどうしようもない部分がある。
ナイフがあっても、それを恨みを持った人間が殺人の道具に全員が使わないのは、理性があるからだ。
人間として情があって、相手のことを多少でも思いやる瞬間があった時、殺すのを躊躇する。
もちろん、性にいたっても同じことが言える。
傷つけてしまった、傷つけてしまう、そういう相手への情が、行動を躊躇させる。
これは「良心」の問題だ。
私たちはこの「良心をいかにあるべきものにするか」の問題で悩んでいる。
そして私は規制反対派だが、その影に隠れてどのような勢力が身を潜めているのかも多少知っている。
小学生に性的興奮を感じ、意にそぐわなければ過剰な罵倒を繰り返し、大人の女性とうまく付き合うよりも、まるで人形を育てるかのような感覚で自分好みにしていくという妄想を抱いているアンダーグラウンドな存在が増えてきているのも知っている。
また、過剰な暴力性に興奮し、これもまた反吐が出るほどのサディズムでいたぶられる人間を「かわいい」と堂々という人たちの存在も知っている。
こういうのをひとつひとつあげていったらきりがないほどだ。
私は親ではないが、やはりこういう人たちの存在を知ると、全面的に規制に抵抗することに躊躇を覚える。
カリフォルニア州では20歳以上に酒やタバコを販売していて、夜の時間帯のこの手の物品にいたってはIDの提出のみならずパスポートまで要求されることがあった。
それだけチェックが厳しい。
規制を続けていくと、それが思わぬものに悪用され、不当な逮捕や社会的制裁を生む可能性をはらんでくる。
アメリカのポルノ規制のように。
規制を厳しくしたからと言って、安泰になるわけではない。
嫌なものを押し付けられるとさらに抵抗を示すように、規制する側もされる側も過剰に反応していくだろう。
そして特に規制される側には本能の問題にも触れてくるため、抑圧状態に陥った後、過剰な行動に出るであろう事は、人間心理として当然なのではないのか。
この社会は市場主義社会だ。
買う人間がいて、創る人間が養われているから、その行為が途切れることがない。
つまり、それだけ需要がある。
言い換えれば、抑えつけて買わせなくしても、ネットもあり海外とも繋がっているこのご時勢、抜け道はたくさんある。
臭いものに蓋をしても臭いものは残る。
ようは、それに性的興奮を示さない良心的な市民を育てるほうが大事なのではないのか。
隣人を大事だと思える社会作りをするほうに力を入れたほうがいいのではないのか。
そういうフォローがなければ、何百年も前から続いてきたこの手の争いには妥協が図れない。
アンダーグラウンドは死滅することはない。
それだけは言える。
そしてその勢力が伸びているということは、社会そのものが病んでいるからじゃないかと思うのだ。
人間は法によって生きる動物だろうか。
日常生活の中でいちいち法律のことを考えて行動するだろうか。
もし生活の中で規律があるとしたら理性や良心があるからこそではないだろうか。
違うのだろうか。
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