2日目(3月27日)は僕が京都の西院に半年いた頃に知り合ったプログラマーがいたけれど久しぶりに会うことになった。
当時は有名ゲームメーカーのプログラマーをやっていたけど、今やAIのプログラマーまでやるぐらいだから本当に凄い若者。
僕と連絡とってくれる心優しい10歳ほど下の尊敬する人。
僕の声の名前は「天銀輝」なので「てるさん」と呼んでもらっている。
ネットで知り合ってるから特に突っ込んで本名知ってないけど、それでも数年越しでもきちんと連絡くれる。
その方が新宿の餃子屋を紹介してくれて、一緒に食べて今までの人生の情報交換。
お店の中であらかた話したけど、あちら様も名残惜しいと感じてくれたのか、せっかく東京に来てくれたからからとの配慮なのか、少し歩きましょうかということになって都庁まで歩いたけど、肝心の都庁、自粛明けなのに都庁内への出入りは禁止していた。
??????
自粛は解除しているのに都庁への出入りは禁止しているとは、なんとも東京の政治の本質を見たような気がして気分悪くなった。
しかも入れる予定は未定ときている。
正直便意を感じていたので、都庁のトイレで盛大にぶっこいてやろうと思ったのに、サイドの場所で落ち着かせることにした。
睡眠時間も少し欲しくて3時過ぎにホテルについて窓を少し開け、ホストの街宣の車やら、相変わらず昼間でも時折なったりする救急車。忙しいなと思う。
ホテルに入る前なんか、休業補償だかなんだか飲食チェーン店が従業員にちゃんとした対応をしなかったからとマイク使って活動していた。
僕も飲食いたしコロナの時にクソのような企業にいたから補償も何も政府の保証の事さえも何も知らされず、ましてや社保も支払ってないことすら知らされずにうやむやにされ休業しますだけで多大な損を被っているから、その怒りは充分、いや僕も君以上に怒り狂っているんだ内心は。
でもね、そういう企業潰したかったら法律と組織化と圧力と、そして自分だけではない多くの人たちを巻き込んで、企業と雇用者の仲立ちをするような組織を作り上げないといけない。
飲食に10年以上いるけれど、ゴミみたいな企業が目に付く。アコギすぎる上場企業や大企業もいる。そういう連中に対抗しなきゃいけないんだよ。
だから難しいんだ。力を持つことでしか解決できないんだ。
ホテルのベッドに横たわりながら、窓から吹き付ける強めの風を肌に受けながら配られたチラシを読みながらウトウト仮眠に入った。
ワークショップ2日目本番。
ホテルからの道中、はらりと完全体で桜の花びらが目の前に落ちてくる。
これは拾って欲しいのかなと思い持って行った。おかげでレッスン中は少し心が和む。
発声法の7つの残りを教えてもらった。
その上10人で5組を組んで各々歌舞伎の題材「勧進帳」を富樫と弁慶の両役を一回ずつ交代でやるという形式で練習する。
ちゃんとやればやろうとするほど震えが大きくなり、震えはグラスを持てば液体が零れるほどだったと思う。
震えを止めるために手をわざと大降りに震わせたり、ぎゅっと握ったり、心臓も高鳴っている。
何も知らないのに「上手くやろう」とは客観的に見れば滑稽だが、ホテルでもいつもの酒量以上に飲んでいるのに全く眠れず3時間程度できっかり目覚めて眠れなくなるのだからどうしようもない気持ちもあった。
気が張りすぎているから、その睡眠時間でも午後のワークショップでも目が覚めている。
ただ「上手くやる」ことが目的ではなく「倍音の感覚を掴む」のと「自分の持っている全力」で出して何が悪いのかを精査する目的があったから、声を張ったり、わざと低く体の中の振動を確かめながら音読のようなテンションでやったり、目の前の人は無視した。
これが「芝居」「演技」を目的としているレッスンならまだしも「発声」なのだから、全部「演じる」ことは自分の中で削ぎ落そうとは思ったけれど、そこは我が出てくる。
結局お金も労力も相方の了承ももらってきているのに、何もわかりませんでしたでは本末転倒。
目の前の人間ではない。
自分の出せる全部に集中。
台本を持つ手が震える。
ゆっくり地に足をつけてやるべきだと力を入れて読む。
結局みんな読むスピードが速いのか、なんだか自分だけが最後1分2分残る。
自分たちだけが声を出している。自分だけが声を出している。
当然周囲の目が向くけれど関係ない。恥ずかしい気持ちもあるけれどテンションを絶対に下げない。雰囲気が変わっても出すこと。だって答えを出す人は目の前の先生なのだから。
壤先生の前でもやって、指摘を受けることができた。
いい先生だと思ってきているので、いい弟子でありたい。
だからなるべく言葉で伝えられたことを体現できるように、今目の前の先生が出している振動を感じ取って自分に取り込むことに集中した。
「耳がいいじゃないの」
確か壤さんに言われた記憶がある。
耳は確かに最近のものではなくて思春期から聞いてマネする等していたような気がする。
親父がクラシック好きで、家で音楽をかけながらなんちゃって指揮者をやっていたっけ。
ここ数年だと人の声を「波長」で見聞きしていたのもある。
もちろん自分の声も。
だからどんな音を出しているのか多少はわかるようになっている。
小さなころからのバラバラの断片がすっと繋がっていく気がした。
ワークショップが終わり、相変わらずついてきてくれる3年目の子。Rくん。
その日は北海道からお酒を送った子から、ベトナムの調味料などを直接手渡される約束だったので「初対面だし人見知りだから一緒についてきて」とRくんにお願いする。
東新宿から新宿アルタまでの道のり色々話をするけど、気になる言葉を言うから正す。
「頑張りたいと思います」
例えば人間、平和、常識、幸せ、当たり前、頑張る等々の広範囲の言葉が出てきた時は、ほぼ思考が定まっていないと思っていい。
だいたい何もわかっていない混乱状態だと言っても過言ではない。
「頑張るって具体的に何するの?」
質問するけど答えられない。
これがいけない。
漠然としたものを思い浮かべるのは指標として大事だけど行動に移せるのは常にシンプルな考え方だ。
明日でも今すぐでも何ができるのか、もっと言えば「今これをする」という思考が大事だ。
忙しい人は常に、この「今すぐやらなきゃいけない」に振り回されていくことになる。
仕事が舞い込まなくても課題さえ見つかれば完全に忙殺される。時間が潤沢にあっても追いつかない。
思考の混乱はちょっとした視点の違いから生まれる。
夢は常に現実的な積み重ねの中にあるのだから、今自分が何をすべきか見えなければ辿り着けないんだ。
かつ指標も同時になくちゃいけない。目的地を見失うから。
ゆえに夢のない人間は道を失い、次の一歩を迷うものには未来がない。
結局R君とは僕が荷物を受け取った後、歌舞伎町の花園神社で夜桜見ながら、「俺壤さんに誘われて来たんだよ。嘘じゃないよ。メールで色々細かいこと教えてもらったんだから。ほら」と携帯を見せると食い入るように見ていた。
別に自慢する気もないけど、きっと「何故ここに自分がいるのか」を示せると思って。
意思もあるけれど、導かれて来たとなると中途半端な気持ちで臨むわけにはいかないからさ。
そして軽い話をして2日目終了。
最終日は勧進帳を見せてくれるというので、1時ごろの始まりだったけれど見たい人は11時。
どうせ眠れない、と思いながら浅い眠りにつく。
[0回]
PR