昨日壬生狂言を見てまいりました。
狂言は生まれて初めてで、能よりかはわかりやすいものの、身振り手振りのみで示すため、やはり下知識がないと何を示しているのか少しわからない部分もあり、パンフレットを買い、それを見ながら楽しんでまいりました。
壬生狂言は口頭伝承だそうで、今でもしっかり伝承され、そして楽しんでいる人たちを見ると、歴史というものを感じると共に、一番派手な演出のある「土蜘蛛」が終わったら結構な人が帰っていったところに、やはり現代はエンターテイメント性がないといかんのか、帰っていった人たち、とも思ったりなんかしたり。
「眠くなるなぁ」
と京都弁でしゃべっていた観客がいらっしゃりましたな。
3日にわたってあり、今日明日と連続で6演目やるようです。
私は用事が有るので1日だけ。
壬生寺、というと全国的に有名なのは狂言よりも、もしかしたら新撰組のほうかもしれないと思いましたが、壬生寺=新撰組ではなく、歴史はもっと深いようです。
壬生寺は正暦2年(991)、園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建され、古い名を地蔵院、宝幢三昧寺、などと号した。壬生寺公式HPとありますので、地元の人からしてみれば新撰組など勝手に居座ったような心地になりますでしょうな。
しかし今ではしっかり新撰組のお寺としてお寺側から積極的にアピールされてます。
この近くは新撰組ゆかりの建物も残されていてファンが巡礼するコースにもなっています。
さて、壬生狂言。
昨日の題目は賽の河原、土蜘蛛、大原女(おはらめ)、大沸供養、橋弁慶、棒振、と最後の棒振りは締めの演技なので、全6演目、なんと13時から17時半までずっとやり、800円で鑑賞できるというお得なものなのです。
一番の見所は「土蜘蛛」で、こちら土蜘蛛が手から紙のテープを幾筋にも放つという見た目にも派手だし、2階ほどの舞台から下へと飛び降りるシーンもあり、演出が一番驚きに満ちています。
最初の「賽の河原」も地獄の鬼が子供の舌を引っこ抜いたり、釜で煮たり、むしゃむしゃ食べたりと、恐ろしい姿が舞台上で展開されます。
大人は「わー」と釜の中から子供の代わりの人形が出てきたときなど驚いていましたが、想像力豊かな子供は夜眠れなくなりますね。
私昔小さな頃住んでいた家に、なんとトイレの扉の上のほうに鬼のお面があり、ちびりそうになりながらトイレに入っていっていた記憶があります。
壬生狂言は仮面の劇なので、それはもう鬼の仮面は恐ろしいわけです。
あの仮面も長年伝えられてきているものなのかもしれませんね。
「大原女」は立小便はするわ、腰布で洗った手は拭くわ、人のハンカチで鼻はかみまくるわ、そりゃーもうお下品な老婆が出てきまして、その品のなさが喜劇なのですが、男のスケベ心もまた笑いを誘うところです。
一番解説が必要なのが「大沸供養」で、敵討ちという部分は解説文を読まないとなかなか見えてこない。老婆との離別を名残惜しくしているシーンと敵方の懐に侵入しつつ掃除下手なシーンは緊張感があってよかったな。
「橋弁慶」は牛若役の小さい子がばったばったと現れる敵を切り倒していくというのが見ものというか、切られ役も小さな子などがいるので、たぶんお母様方とその関係者たちが見に来て「ああ、我が子も頑張っているわ」と自慢げに話すのが主の話でした。
っていうか、せっかくの子役の登場にもカメラで撮影禁止だから勇士を映せないんだよね。残念。
「棒振」は厄払いの役目があるんですって。
そのまま締めで「棒を振る」という感じです。
この時間になると暗くなってきて半袖では肌寒かった。
こちら側に来るとこういう民間伝承に近い形で地域の人たちぐるみで一生懸命伝えている物事って凄く多いのですね。
実際見聞きしながら感じることは伝承と発信の力。
意味を伝え、形を伝え、想像力を伝える。
年に3回ほどやっているらしいので時期が合えば1つだけでもご覧くださいませ。
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