親はきちんと子どもを保護するのではなくて、生きていくための術を教えたほうがいいという気持ちが強くなるのは、社会で厳しい思いをしてわかってきた。
だが、子どもは柔軟な頭のまま、奇抜なアイディアで世をあっと言わせるような考えは持ち続けたほうがいい。
それに向けて確実に行動していくこと。
それが大事だと思った。
大人が子どもの想像力や夢を奪ってしまうのは、現実に擦れすぎているからなのではないかと考えたが、実際に生活して、稼いで、なおかつ子どもを食べさせているのだから、現実生活に対しての不安や恐怖心を、子供の未来とどうしても重ね合わせてしまうことは心理的によくわかる。
私は小学生から「おじさん」と言われ、おじさんからは「若者」と言われるような歳になったが、まだまだ子ども過ぎて、気遣いや、心配りや、言葉配りが圧倒的に足りなく、コミュニケーション能力も欠けている。
これは社会を上手に生き抜くため、苦労しないためにも必要だ。
身につけておかないと、きっと生きていくことが苦痛になる。
人は人を支えているのだろうけれど、その中で見下されながら、人から押し付けられながら低給料の人たちは仕事に従事している。
擦り切れそうな気持ちを抱きながら、明日への不安を抱えている理不尽さに耐えかねて、命を絶つ気持ちもあるいは持つのだろう。
苦しみ続けて大人になることに慣れすぎてしまって、それが当然のことのように考えるのは、そもそも間違いで、辛いことを他人に押し付けるのではなく、少しでも我々がよい方向へと向かわせ、そして次の世代に悪いものを残さないでおこうというのが大事だ。
自分が苦労したから、お前も苦労しろ。
これから苦労するから、今必死になれ。
親は保護する必要なんてまったくない。
子供だって人間だ。
意思を持っていれば必ず現実から学ぶ。
押し付けなくても学ぶし、辛いことから保護することもない。
過保護に育てると、社会に出てからとても苦労する。
私はされることばかりで、ほとんどしたことがないから、他人からあきられるほど常識はずれのボンボンに育ってしまった。
「ぬるま湯育ち」とか「ぼっちゃん」とか「苦労しなかった」とか「社会人として失格」とか、色々短期間の間に言われた。
知識もなく、要領も悪く、ぼんやりしていて、優柔不断。
そう、評価されている。
サラリーマンとして生きていくには、とてもじゃないが「役立たず」なのだろうと思う。
人とずれているから、人と違うことをしなければ生きていけない。
親が何をさせたいかが子供の人生ではない。
子供が何をしたいかの意思を子供自身で実行させることが、きちんと子供としての人生を与える親の義務のように思う。
あとはいくらでも遠回りさせればいい。
10代なんていくらでも取り返しがつくし、いくらでも経験できる。
無駄に過ごすのは、そこから何も学ばなかったときだ。
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