自分は己が得た利益の一部を誰かに還元しようといつも考えている。
それは食事であったりものであったり行為であったり。
でも一度やったらすっかり忘れるようにしている。
自分の手を離れたものは、自分のものではない。
だからたとえ奢っても恩着せがましく思ったことはないし、忘れるからどうでもいい。
その行為が一体何になるのかはわからない。
じゃあ意味のない行為なのかと言ったらそうじゃない。
何かが実るかもしれないし、実らないかもしれない。
大人になってくると友達が少なくなる。
友達もできづらくなる。
友達を探すためには自分から何か与えられるようにしなければいけない。
世の中にはすぐに見返りを期待する人が多いけれど人間関係ってハッキリ何かがでるほど理路整然としていない。
普通多くの他者は自分のコントロール可能な、かつ自分の利益に反しない生き方を選んでいく。
奢ったらそのことをだいたい覚えているし、何かしてあげたら見返りが欲しいし、理不尽な事は避けたいし、自分が慣れ親しんだ行動の中で色々な事をやっていきたいと自然にやっている。
だからこそ自分の利益にならないこと、一見自分には関係ないことを押し付けられると不満を持つし、その行動を避けたいと様々な手段を使ってくる。
逆にこの心理を逆手に取ると相手の地金がわかる。
不安定で一見何の利益になるのかわからない行為、かつ誰かに対して利のあること。
皆万人のために生きることを拒絶しているが、何かのために生きようとはしている。
その「何か」が見えるのが自分の利益を逸脱した行為の中に見える。
変化を作る生活をしていると、自分と関わった人を介して色々な価値観が入ってくるようになる。
距離を取るべきかそうじゃないか。
一緒になって何かができるのかどうか。
全ての人とは絶対に仲良くはできないが、上手くやることはできる。
その距離の取り方は、やっぱり自分の感触の中で確かめないといけないけれど、毎日同じ生活して人生経験ってそれほど積み重なるものじゃないからこそ、自分のためにも変化のある生活を目指している。
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