小さな頃はまったく焦りもないし、嫌だ嫌だで様々なことが過ぎ去っていったけれど、どうにも年齢を重ねるごとに「このままではいけない」としみじみ思うようになってきた。
その焦りは自分の知識であったり、経験であったり、視野の狭さであったりする。
何もかもが浅はかで、とてもじゃないがこの世界で生きていくには多様性に欠く。
「年相応」ということもよく考えるが、作家としてやっていくには、若さだけでは押し通せない部分も出てくる。
「若さ」と、「なぜ若さが通らないか」の広い視野において「若さ」を捉える必要性が出てくるからだ。
いつまでも「若い若い」だけの薄っぺらな小説ばかりでは、自分でも「未熟なままで満足しきっている馬鹿」と感じるようになるだろう。
基本、発想がネガティブでもあるので、一度はまり込んだら抜け出られない。
なので、なんとか未来においてそういう状態になることだけは勘弁したいと幅広く学んでいこうと思うわけですが、なかなか心をずるずる引きずっているような感じで思うように前には進めない。
作品としての深みを出すには、その知識や経験を前面に出すと味気なくなるが、さりげなく配置することで味わい深く奥行きのある描写になる。
現在作りかけのものがたくさんあるが、それをすべて完成させるだけでも2,3年はかかりそうだ。
通常の人は小説は自分の経験によるところが大きいと考えるが、残念ながら20本とか30本とかいう作品数になると、自分のそれまでの経験では絶対に補えないものが数多く出てくる。
その未知の経験や知識を得るために、今の感性、この感性の部分は知識や経験を得るごとに鈍る側面もあるので注意しながら伸ばし、知識や経験を得なければいけない。
もっとたくさんのものに出会いたいし、もっとたくさんのことに感動したい。
この世界は絶望ばかりではない。
たとえ特殊行政法人に国の金が300兆流れ、その金がヤミ金や外国との取引に流れていて、この先2・30年ほどで日本という国がなくなってしまおうと、自分という人間だけは残る。
自分という人間が世界の中で残った時、何が武器になるのか、どうしたら生き残っていけるのか、どうやっていったら再生できるのか、そして一人でも多くの人間を助けることができるのか。
もうこの先を考えるなら「日本の中の私」ではなく「世界の中の私」を考えなければ生き残ることはできない。
そのための「私」であろうとすることを目指さなければいけない。
「遅れてる」という焦りだけが積み重なっていく。
もっと自由に動きたいのにな。
相変わらず、下手な作品ばかりを書いていているが、いつか自分でも納得できるようなものを出せたらいいな。
広く世界を見て、広く人を知って、広く伝えていきたい。
「生きる」っていうのも、捨てたもんじゃない。
[3回]
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