色々人には趣味や趣向があるから、当然好き嫌いがあるのですが、長く文章を書いて人に見せていくと、当然好きになってくれる人もいまして、その好きになってくれる人の中でも結構文章を沢山読んでいる人もいて、そんなある意味辛口の批評家ともなりそうな方たちに気に入ってもらえると多少自信がつくというか、ああやってきたこと無駄じゃなかったんだなって思えるようになっております。
特にまだ充分稼げるような状態じゃないから心配してくれる人もいて「止めるんじゃないよ」と背中をそっと押してくれる方たちもちらほら出てきました。
文章に関してはド素人からやり始め、いまだよくわからないところも沢山ありますが、20人に1人くらいは褒めてくれる人がいて、ちょっとずつ進んでいる感と言いますか、自分で自画自賛できるレベルのものができると「あーよかった」と思えるようになってきまして、続けていて・・・っていうかほとんどしがみ付くところがこれしかないのですが、よかったなと思っております。
何故こんなヤクザなこと続けているのかって言うと、やっぱり自分の魂が燃焼している感覚がするのはここだし、生きることに飽いてしまうことが怖く、何か困難とかやればできるようなものを追い求めていたく、少なくとも性格上ちまちまと創作するというのが好きらしく、その創作好きは料理の方にも発揮されているようなのです。調理師免許まで取ってしまいました。
こう見えましてもノーベル文学賞を目指しておりますし、生涯の魂の使い場所、自らの人生の行き先がずっと遠いところまで見えているため、止めるわけにはいかないのですな。
だけれど、とにかく自分の作風が嫌いな人や興味のない人の方が圧倒的に多い中、やはり出会いを増やして自分の作品を見せていくことでしか、読者の獲得は不可能であるとよく思います。
批判されたり好きじゃないと言われたりすることは多いんですが、それでも出会いを探してめげずに人と出会っていくしかないのかなと思っております。
作品がたまったら今度は人海戦術に出るのが一番効果があるのかなと今考えておりまして、冊子でも何でも短いのを作成して街中で配りまくろうかなって考えてます。
応援されていると、よく感じるんですが、やっぱり何か、その人の昔持っていた憧れを代理で果たすかのような期待をかけられている気になってきます。
例えば昔目指していて今もたまに書いてみるけど、やっぱり才能がないって思ってやめてしまったとか、文章が好きで身近に活躍してくれる好きな文体の人がいたから世に出て欲しいとか、なんだか色んな事情はあるんですけど、相手の人間の果たし損ねた何かや達成してくれたら凄く嬉しい!を自分が未来に持っていくような、相手を知れば知るほど妙な感覚になってきます。
文学、小説だと「ライブ」ってやつがなかなか出来ないので、どこで「ライブ感覚」を確認するかと言ったら読んでくれている人と親しくなったり、自分で朗読会開いたり、感想をもらったりでしか受け取れないので、もしライブ感覚味わえたら最高だし、応援してくれている人の喜ぶ顔も想像できて、自分も嬉しい気持ちになってきます。
人と関わる。人を知る。応援される。
つまりは相手のことも想像しながら打ち込めて凄くいいなって思っていますよ。
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