ツイッターから離脱してずっと様子を見ていたわけですが、やはりデマと本当の情報が入り乱れています。
自分がうっかりデマを広げないためにも便利な情報ツールの情報発信者として余計な情報を出さないためにも静観していました。
特に専門的な知識を有する情報に関しては、なかなか元ネタまで辿り着くことに時間がかかり、専門用語を調べるだけでも時間がかかる。
さらにこのようなクライシスに関しては、情報を独自解釈した人がさらに情報を作って流すという、何重にもフィルターのしかれた情報が出てきます。
今でさえ数々の情報から共通点を探して、真実めいたものを探していくしかない。
元々文学などは「思考」という相手の「言葉から受けるイメージ」を利用して言葉を展開していくものですが、精度の高い情報は「事実のみ」で構築されるべきなのです。
それを受け手が「イメージ化」して、純度の低い情報を出していく。
正直報道の立場にある人間がこれをやったらおしまいなのです。
この世の中を劇場化しているのは誰なのか、今回の震災でもはっきりとあぶり出ていると思います。
そういうやつらは「情報の発信者」ではない。
「劇の創作者」であったのです。
この「劇の創作者」が長年にわたって日本を扇動してきたわけです。
功罪ありといえども、受け手たる我々がそのことをようやく意識できるようになってきたのではないでしょうか。
そして「劇の創作者たち」は、もう情報ツールの高度化により姿を変えようとしている。
これからの情報はより高度化し、トリックが見抜けないようになってくる。
つまり、一部の高レベルの人間のみが真実を知り、その下の人間たちが信じる情報は別に構築され、心理的なロジックよりもずっと高度でより広大な「世界観」を背景にしたロジックが、これからの情報トリックとして使われてくる。
情報統制は常にプログラムが適切に判断できるようになる時代も近いかもしれないと思っています。
しかしそれを喝破する方法はあります。
より人間らしい緊密な付き合いとコミュニティーを構築していくことです。
結局は都市化によって起こる「情報への妄信」を防ぐには人が発する生身の感覚というものを大事にしていくしかないのです。
でも今回の地震で、若い人たちも奮起している様子を見て、本当にこの日本は捨てたものではないのだなと改めて思いました。
むしろ悪いものを流布させていたのは若い人ではなく年配の人間たちなのではないかという邪推すらしてしまうほどです。
私たちは生きていかなければいけない。
そして生きていくとは、分かち合うことなのではないかと私は思っている。
「最上のワインは最上の友と」
ならば、最上の友となるべく各々が奮起していけば、心底素晴らしい未来が待っている。
一週間ばかり、そわそわして落ち着かない日々をすごしていましたが、少しずつ私も立ち向かっていきます。
P.S.
震災の裏側、騒動の裏側。
どうにも議員の立法権とは衆愚政治状態における最大の腐敗要素となりえるようだ。
この日本は怖い側面を持っている。
特に中央の人たち。
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