電子書籍リーダー、端末合戦が始まっている。
今日はユーストリームを通して電子書籍ビジネスにおけるソニーの取り組みとリーダーの発表をやっていた。
内容はそれほどでもなし。
ソニーのブックストアーには2万冊の品揃え、と言っていた。
検索機能もついていて、似たような内容のが数冊同時に並べられ、類似作品を表示してくれるらしい。
正直な話、アマゾン越えられるのかなと。
発表だけ聞くと「本を読んでいる人の発想」ではなくて、やっぱり端末の性能だけがいいのかなという印象。
もちろん端末の性能がよいに越したことはないだろうけれど、端末の性能がよくても本におけるサービスの内容で負けていれば、結果を見るまでもなく惨敗すると思う。
端末の性能だけが際立っていても「書籍ビジネス」では勝てない。
これが、ゲーム、映像など、ソニーが持っているコンテンツと合体させた形ならまた違うかもしれないけれど、少なくとも「書籍ビジネス」に絞って考えるならば、本を読む人の期待を超えてくる力はまったく感じられなかった。
米国では売り切れという形が出たとアピールしていたけれど、それは米国ではきちんと作家も出版社などを通して本の力をアピールしているし、大衆もその力を直接受けて刺激を受けている。
当然コミュニティーの力も強いし、本を読む人は作り出される創作の力というのを本を通して直接感じている。
しかし日本にはそういう力がない。
アメリカで「ラストサムライ」という映画がやった後に新渡戸稲造の「武士道」が日本でもクローズアップされた。
あれは元々英文だったけれど、アメリカに行くのに日本語訳と英語の両方の文が載っている「武士道」を持って何人かに渡した。
それで本を渡すと、ある人が「サインをしてくれ」という。
「どうして?」と聞くと「アメリカでは渡した人の名前を書いたりするんだよ」と言っていたので照れくさかったがサインして渡した。
声のトーンがかなり高くなるほど喜んでいた。
本であれほど喜ぶ人を初めて見たが、アメリカにはこれぐらい本に対して喜ぶ人がいるのだ。
そもそも「本の力」ってなんだろう。
日本の電子書籍のビジネスは「本」そのものを見てはいない。
これは「コンテンツビジネス」そのものにも言えることかもしれない。
金が稼げるからそれを出すのでは、コンテンツそのものは育ってこない。
文化を育てる、技術を育てる、こういう発想が「金」という「数字の力」の次に位置している。
本来の「本の力」とは当然数字では見えないところにある。
「本の力」とは「動き出したくなる力を与えてくれる」ところにあると思う。
「世界観が変わった」「新しい知識から気づかなかったことに気づきそうだ」という静的な興奮も含めて、体の中から湧き上がるような衝動を感じるのが本当の「本の力」だと思っている。
そしてこの「本の力」を生かしきるコミュニティーの力が日本では非力すぎるのだ。
本における「売れる」を感覚の面から捉えるならば、とことん普遍的、または社会性の高いものでなければいけない。
普遍性を最初から書ける作家なんて天才と呼ばれる人しかいないし、ほとんどは失敗を繰り返しながら徐々にものになっていく。
しかし通常はそのような天才などごろごろは出てこないから、だいたい「掘り下げる」ということができなくなる。
万人受けするのを目指すあまり、本の内容を当たり障りのないないようにするしかなくなってしまう。
これは、ある側面における物事の核心に迫ることができない、ということを意味もしている。
つまり少数でも確かにある世界の事実というものには「売れるもの」を最初から目指していては消極的な目で見るしかないし、当然掘り下げることもできない。
しかし、大事なところはいつもこういう小さくとも確かにある力強い真実の中にある。
今の売れ筋の中には「本当に価値のあるもの」は残っているだろうか。
「本の力」と「金の力」はイコールではない。
しかし、金の力がないと本当に価値のある本はなかなか出来上がってこないもの事実だ。
ここら辺の事情を理解している人はかなり少ない。
小説だって娯楽小説みたく楽しめても、「きちんと書く」には綿密な取材が必要になる。
その資金や労力だって結構かかる。
そうじゃない本も、これからたくさん出てくる。
いわゆる「現場からの声」や「告白」に近い本だ。
これは部外者が取材費をかけてする外側からの目ではなく内側からの目によって見られた本だ。
電子書籍が活発化してくるにつれ、地方を訴える本、個人を訴える本、組織を訴える本、妄想を訴える本など様々な範囲における本が乱立することになる。
だから逆に「売れるものだけ」をピックアップしてお勧めしたくなる気持ちもわからないまでもないが、これから「混乱期」を迎えるからこそ、きちんとした「書き手」の存在や「編集者」が必要になってくるし、「本の力」を生かしきる新しいフィールドが必要とされるのに、一体日本の本に携わる組織は何をやっているのだと憤りを隠せない。
きちんと仕事ができる人間を育てることやコミュニティーの結合力を高めていくのも「技術の世界」には必要なことなのだ。
別にこれ、ソニーさんだけの話じゃないのだけれどね。
ただ、大手の会社の発表を見るにつれ「ああ、ここもか」と落胆してしまうのも事実なのだ。
ソニーさん、プレイステーションを出す時の勢いぐらいはないと、「本の世界」に新しい風は起こせないのではないのかな。
当時任天堂がハードとしては主流だった世界に「無謀」とも言える挑戦をした。
しかし、プレイステーションはメジャーとなった。
その「無謀さ」がなければ、この世界は衰退する一方だと思いますよ。
最後にもう一度言いたい。
本の本当の原動力とは「動き出したくなる力」があるかどうかにかかっていると思うのです。
これをさらに爆発させるようなものがなければ「革新的」とは言えない。
[1回]
PR