凄い人は凄いなぁと。
無名の才能を見出す力はあっても、自分がこれじゃぁな。
例えば、その子は高校三年生で3時間で作詞作曲をする。
早熟だし、音のセンスも言葉のセンスもいい。
凄いとしか言いようがない。
プロになるには時間の問題だし、大金を稼ぐ存在になる。
紹介しよう。
とても高校生の発想じゃない。
気を付けていることなのだそう。
・人の話を聞く傾聴力
・心の力を引き出す対話力
・主体的に自分も他人も引き込む力(新しいを共に作る)
・1人よりも2人
・新しいを共に作る共創力
・答えを言わないが方向を定める
・目標提示のための先見力
・自分の物差しを剥ぐ
もはや次元が違う。
創作をするうえで生きている次元も違いすぎる。
「あー、新しいコード探さなきゃ」
即興ギターをやりながら言う。
音楽がとある法則性の中にあることも感覚的に理解している。
話しかけてきてくれたから酔っぱらいながら色々喋った。
とにかく親がいい。
何一つ反対しない。
クーラー大好きで風邪引いていた時にクーラー消しなさいくらいのことを言うって感じだ。
たぶん泳ぐように音楽の世界を生きていく。
その後その子は、ある壁にぶつかることも、うっすら見える。
人の心の動きがわかる。
「え?なんでわかるんですか?」
その子と話し合った時も言われたし、この言葉はもう結構他の人からも聞いた。
皆言葉にできない言葉を抱えて生きている。
知識では読み解けないもの。
人の心の流れ、発言や行動から見える過去。
根っこから発せられる表現。
とにかく表現って、芸術って「生もの」なんですよ。
ネットだと余計に好きなものだけ集められる。
そんな世界の中、人がまだ見つけていない「生もの」に触れられる世の中になったわけだし、なんだか優れた存在に出会って思った通りにスイスイ昇っていく姿を眺めながら、昔みたいに嫉妬の炎に燃え上がるわけでもなく、ただ単純に「すげぇなぁ」って思って上を見上げている自分がいることに、ちょっと驚いているところであります。
この感覚も「生もの」であります。
相対した時に生じる感覚そのものが、芸術に触れた証なのであります。
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