何年も前から「テクノ法要」と言う名で仏教の般若心経などをテクノに乗せて一つの音楽として発表することをやっていたのは知っていた。
宗教関係に関わらず優れた詩というのは音の響きが既にいい。
聞いていてとても心地いいのだ。
まだまだ種類が少なく、豊富な音とまではいかないまでも、ここ数年の間でだいぶ認知されるようになってきた。
他の宗教や、僕がやって欲しいのは漢詩とかで何とかやってくれないかなぁ。
伊達に大雄寺という伊達家ゆかりの大きな寺がある。
ここは毎年のようにフェスティバルをやっているそうだ。
今の時代に合わせて伝え方も変えていかなきゃいけない。
そう話すのは還暦を過ぎた住職だ。
ジャズやら何やら、仏教、いや宗教という垣根を越えて寺の役割というものを考えて実行していかなきゃいけない。
そういう考えの人だ。
何かを変えようとする時、元のものが壊れてなくなってしまうのではないかと懸念する人たちがいる。
なんだか、どんなジャンルでもその手の人はいて、でも新しいものが出てきても滅びているわけではない。
何故なら文化も遺伝子と一緒で、元のものが壊れるとなると、それは断絶でしかないからだ。
断絶を防ぐために入り口を狭くするのではなく、大きくするために、いかに活動するのか。
その大きくすることを怠って守るべきものはこれだから絶対変えないってことをやっていると、何故か縮小していく。
オペラ座の館長だかも同じこと言っていた。
伝統を守ることは当たり前に大事だけれど時代に合わせて私たちも変わっていかなければいけない、と。
時代は変わる。
人は変わらない。
まるで矛盾のように思うのだったら、世界をもっと知らなければ、自分が腐ってしまう。
若者に愚痴を言い、昔話にだけ話を咲かせる老人になってしまう。
気を付けなければね。
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