年齢的に、じい様の出刃包丁がある。しみそばかす顔中に広げたじい様のようなものだ。
こいつは最初だいぶ錆だらけだったんだが、磨くとそれなりに元に戻った。
鋼鉄製となれば、かなりのものだし素人の磨きなので完璧というわけにはいかない。
所々錆なのか傷なのか凹みがあるし、根元はさすがにやり辛い。
せっかくあるのだし、見た目の酷さは取れたが、なんせ、このご老体は、かまってやらないと腐ってくる。
錆は広がるし、刃の部分にも怪しい色が滲んでくる。
だがご老体、使ってやると、どうにも過去の栄光を思い出すのか、妙にぞっとするような光を放ちだす。
丁寧に毎回布で水気を拭ってやり、トマトがするりと切れる程度に歯の鋭さを保つ。
銀というよりも、淡い水色のような光沢を身につけだすので「あんたは結構凄いやつだったんだな」と褒めながら使っている。
一方農具となると酷い扱いだ。
今度使うからと外に放りっ放し。
よくばあちゃんに「大事に使いなさい」と言われていたのを思い出した。
泥をきちんと落とし、草の汁を水で洗い流して、水はきちんと乾いた雑巾で拭いて。
そうすれば長く使えるんだと。
農具なんて土をいじらなければ意味を成さないし、ほとんどお荷物に成り下がる。
だけれど土をいじりだして心の中で「常に関わっていくもの」だったり「大事なもの」になっていくと、それらのお荷物は突然「必要で手放したくないもの」に変わっていく。
こういう感覚のシフトについては、全て日常の何気ない行動一つにかかってくる。
特に道具に関しては、ほぼ自分の意識を反映していく代物だ。
それが包丁であろうと農具であろうと文字を扱う文章であろうとお金であろうと、自分が手にとって身の一部として扱うものに関しては全て感情や意識を映し出していく。
わかっているようで、どうにも忘れがちになる。
使わなければ錆びる。
大事にしなければ錆びる。
人と同じような「ステージ」において充分に能力を発揮できるように、事前に準備を必要とするのが道具であって、そこに道具があるから何かが機能したり開けていくわけではないのだと、じい様出刃包丁をみて、しみじみ思う。
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