これは電子書籍やコンテンツに関してだけれど、確かに内容が大事に越したことはない。
でもよく考えたら、漫画の読み方をちょっと観察していると、コンビニや書店で立ち読みする。
もしくはキヨスクで買って電車の中で読んで捨てる。
結構この手のパターンって多いのではないのかなと思う。
今まではネットなんてそれほど活発ではなかったから「よい作品は売れる」という理屈は通じたけれど、今だと「よい作品は無料で探す」という時代になった。
そして値段がかかるのなら、値段のかからない良いもので時間を潰すという選択肢が出てきたのだ。
つまり、売ろうとすればするほどお客が逃げていくという悪循環になる。
私だって、なるべくは購入したいけれど、損した気持ちになるような、くだらない作品にはお金を払いたくない。
このことは、もちろん自分の作品にも当てはまるので、本当にこれからの時代苦労するなと思ってしまう。
でも八方塞ではない。
私は前々から「参加型コンテンツ」にしか活路は見出せないのではないかと考えている。
人って芸術作品にお金を払う時って本当に感動したときだと思う。
特にそれが肌身に切実に迫ってくると「思い入れ」というのが出てくる。
ちょっとやそっと「良い」程度では売れないし、売れるはずもない。
いかに思い入れや、その思い入れを引き出せるかというところにすべての戦略がかかってくる。
たとえば今まで書籍は「パッケージ商品」だった。
つまり買ったら、それで独立しすべて完結する。
その延長線上に映画化、そしてグッズ化といった商品戦略があったが、そもそも一番最初のコンテンツの「パッケージ」の概念すら古くなってきている印象だ。
じゃあ、ちょっと「パッケージ」という箱に入っている概念をぶっ壊して考えてみると新しいアイディアが生まれはしないだろうか。
たとえばひとつのコンテンツとしてパッケージとなっている。
しかしもっと他の話の追加とか、映像ダウンロードサービスとか、主題歌セットとか、ラジオでしゃべる、朗読サービス、ソーシャル系が流行るのなら、みんなの意見、好きな文章を集めて紹介して、もりあげていくイベントプランナーのような発想。
そこに思い入れが発生しそうなら、その思い入れをどんどん引き出してこなければ、他の並んでいるだけの商品とまったく一緒だ。
興味を引く、という煽りサービスはもうあこぎだし冷ややかな目でしか見られない。
他の並んでいる商品と一緒になるという事は最初のほうに書いた「無料の良い商品に流れる」か「自分の好きな信用の置ける作品」しか絶対買わなくなる。
これって消費者心理としては当たり前のこと。
そこに文句つけるほうがちょっとおかしいし、「電子書籍・音楽などは売れない」と嘆いている人たちのほとんどは昔の業界の業務を知り尽くしていてそれを忘れられない人たちが言っているんじゃないのかな。
私たちって作り手もそうだけど、創っておしまいだった。
創って並べて宣伝しておしまい。
それが「売る」ということだと思い込んでいた。
でもそれはそもそもの間違いだったし、創るってことを勘違いしていた。
本当に創るって言うのは「思いを残し、創っていくこと」なんじゃないのか。
「仏作って魂入れず」
今の作り手、そしてそこに関わり嘆いている人たちは、この言葉がぴったり当てはまるように感じる。
「パッケージを売る」から考え方をシフトさせれば、本当に多様なアイディアが浮かんでくるよ。
人を集めることができるだけでも、それはイベントになるし、換金化ができてくる。
もう、古い考え捨てちゃいなよ。
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