http://www.ourmobileplanet.com/去年のデータで少々古く、年末を越えた今年はどうなっているのかは不明。
自分たちが今どこで商売しようとしているか、という現状認識は必要で、まだ数の面からいっても電子書籍を売り込める体制が整っているとは、とてもじゃないが言えない。
タブレットや電子書籍リーダーの普及台数がいかほどなのか日本国内での細かな数値が見つからないが、私たちが思っているよりかは少ないのかもしれない。
大きな所ならまだしも、小さな勢力が勝負できるのは依然としてガラケーと呼ばれる旧式の携帯プラットフォームだけれど、その携帯もいずれは買い換えなければいけない。
各会社の新商品携帯がほぼスマホなのを見ると、徐々に数値は移行してくるのだろうとは思うが、まだまだ苦情が多くガラケーのようなシンプルな使い勝手のよさは実現していない。
人間は選択肢が多くなればなるほど、そのどれをも選ばないという傾向がある。
ミニPCのような多機能の携帯電話に慣れるまでは時間がかかるだろうが、使っていればそこそこ慣れてくる。
しかしすべての機能を理解して使っていけるわけではない。
ここで、機能そのものに取り残されていく人と、機能に慣れて使いこなせる人間の二種類が出てくるだろう。
ガイド本が売れることになるだろう。
まだまだ私たち電子書籍販売側はアプリやネットにおける電子書籍を「どう扱ってよいのか」という疑問は取れないままだ。
紙の本のままの考えの人。紙とはまったく違う捉え方をする人。電子ならではの「更新」に着目しリアルタイムとソーシャルを兼ね合わせ、かつ読者と我々が笑顔で手を固く握れる場所を模索している。
「いずれは本は無料になり、ガイドにお金を払うようになるだろう」という記事があったが、もしここまで来てしまったらコンテンツは活性化されるがコンテンツ製作者は地獄を見る。
我々芸術家はスポンサーの手を離れ、空想の翼を伸び伸びと広げながら自由に創作に力が注ぎ込める環境を夢見ている。
そんな環境、ありはしないとわかっていても夢想せざるをえない。
それがまた大きな力関係に圧迫されて創作の力がねじ曲げられるのかと思うと、もはや金と芸術の上下関係は逃れられぬ因果なのかと落胆してしまう。
私たちは「鑑賞者」の立場になったとき、非常に優位な立場から見ていると錯覚しがちだ。
調理された数々の食材を「料理」という形で目の前にすれば、あとは自分なりに味わうだけなのだ。
だからこそ多くのものを見落としているし、見落としているものを料理人がウンチクをたれるのは客商売として最も愚かなことであると理解している。
このジレンマの中で私たちは新しい時代に沿った芸術的な方法を模索していかなければいけない。
そして、私たちの実力がきちんとした目によって導かれることを常に望んでいる。実際、運に左右されることがあらゆる状況から鑑みて、わかっているにも関わらずだ。
日本でのアプリ利用率はダントツであるという。
ガラケーの時代からそうであったように、携帯電話をいじりながら、テキストやソーシャルでの「声」を受発信したい、楽しみたいという欲求は変わらないだろう。
だからこそ端末普及率は電子書籍を扱う私にとっても注視していくべき数字だし、商売をしようと画策している人たちにとっても本格参入と展開を目論む上でよい材料になる。
私たちは自分たちで思っているよりも、他人には伝えていないし、他人のことを知ろうとしていない。
コンテンツを作っても、その魅力を充分に伝えられているか、その前に引き出せているのかと言ったら「NO」なのだ。
読者に伝える前に、最も熱心で客観視できるファンは自分自身であらねばならないのに。
いい大人が集まれば未来の話をしているようで、結局お互いの秘密を話せないまま、意味のない状況分析と今後の傾向を話し合い終わってしまう。
シンプルな問題として、自分たちが扱おうとしている、開拓しようとしている場所では何をすればみんなが楽しめるようになるのか、ということに絞られるのに。
電子書籍元年と言われた去年は船を漕ぎだし陸地を離れようとしたに過ぎない。
陸地が見えなくなり不安感に囚われ、海の上ではやっぱり商売ができない、人がいないじゃないか、帰らせてくれ、と情けないことを叫んでいるのと同じだった。
そして今年は何も見えない大海原で新大陸を見つける作業に追われるだろう。
来年ようやくたどり着いたそれぞれの陸地で、自分たちの王国を築いていく勢力が現れるだろう。
本当はいけないことなのだが、今私はお金のことはある程度抜きにして腕を磨くことに集中しようと考えている。
もちろん作品は書くし、実験を繰り返しながら様子を見ていくけれど、大事なのは他人ではなく、自分の手数の多様さに尽きるということだった。
何か手応えのないとき、「何らかの準備が足りていないからだ」と考えるようにした。
そのしっくりこない感覚は情報の欠乏かもしれないし、状況の貧困さかもしれないし、準備不足かもしれないし、己の実力のなさかもしれないし、教養の欠落かもしれない。
やがて「電子書籍戦国時代」と言われるようになったら、勝手に「天下統一」の実力を持ったものが台頭していく。
私たちは各々の戦略を胸に秘めながら、他を出し抜いて吸収する機会をうかがうことになる。
結局は才能の評価をいかにシンプルに魅せるか、ということが読者に伝える上では重要になりそうだ。
そして最も優れた君主は才能と努力の対価を臣下に示せるものになるのだろう。
ここについてのヒントは、数多く転がっているように思う。
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