偶然本にジュリア・クリステヴァの言葉が引用されており、「テキストは生産物ではなく生産性である」と書かれていて、なるほどと思い検索して見つけたこのサイトに凄いことが書いてありました。
東京外国語大学大学院 総合国際学研究院 山口裕之教授のサイトより
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/yamaguci/inet_lec/index-i.htmlこのウェブ講義の12回目に書いてあるネットテキストの将来。
しかも10年以上も前に考えられていたのだから驚きました。
そこから私が強烈に学んだことがあります。
端的に書くと、以下になります。
ハイパーテキスト空間においてのテキストはオリジナルを小さな穴で覗くがごとく断片的に存在していく。
つまり「検索エンジンで検索したテキスト」は常に「オリジナルの断片」であり、オリジナルの断片は「検索エンジンで検索したテキスト=自分の興味のある分野のみ」になるわけです。
つまりハイパーテキスト空間では、「検索=興味=テキスト」の関係が常に成り立ち、そこに完成された一つのパッケージとしての「電子書籍」は、ハイパーテキスト空間における「油」で、常に水(「検索=興味=テキスト」)の底に沈む運命にあるわけです。
以上の理由がハイパーテキストと電子書籍の決定的な違いになり、そして電子書籍がハイパーテキスト空間で孤立する運命を決定づけています。
だからと言って電子書籍にはまったく未来がないかと言ったらそうではない。
「検索=興味=テキスト」の関係性は絶対に崩れない。
常に「オリジナル」を針の穴で覗いていく「検索によって導かれたテキスト」「興味のあるテキスト」を読むという行為は、まず崩れることがないにしろ、これは「点描画」であると言えると考えます。
検索で覗かれた一つ一つは小さな点であるとしても数多くの点を打っていくことで最終的には「絵」になる。
しかしその「点」である一つ一つのテキストたちも、検索エンジンやネット空間というデジタルの海に消えていく作用は強烈に働いていくわけです。
せめて私たちができることは「点ではなく点描画だ」と示唆することです。
そんな中で後半で書かれているのですが「「書物」がより細分化された単位同士の結合である」という点が重要であり、ハイパーテキスト空間であっても結合の仕方が大きく変化しているだけで、テキスト同士の結合性の性質はそれほど変化していないのではないか、という点です。
検索でテキストを探すということは、よりピンポイントなわけです。
検索したテキスト以外は興味がない。
これはユーザーそのものが編集作業をしているのと変わりがない。
どうやら我々が電子書籍を扱う上で最も注意しなければいけないのは、このハイパーテキスト空間上のユーザー任意のテキストの結合の仕方であり、その関連性の中にテキストを配置していかなければならないのではないか、という点に尽きると思います。
しかし私が実際に電子書籍やテキストを配置している中で実感するのは、たとえ「検索=興味=テキスト=点」であっても、「点のオリジナルである点描画」は用意しておかなければ、本当にデジタル上の「点」でしかなくなってしまう、ということです。
「点」が強力であれば強力であるほどよいにこしたことはないのですが、そう連発できるものではありません。
最も理想的なのは「個人が記号化すること」でしょう。
例えば法人でも「SONY」とか「TOYOTA」とか言われれば、すぐそれが何であるかがわかるわけです。
つまりテキストが完全にシンボルとなっていて「記号としての意味」を示している。
今ネット上で勢力をふるえるテキストを発信できるのは「記号化した個人」「シンボル化した個人」であると言えるでしょう。
しかしこれもそう簡単になれるわけではない。
一番最後のところになるとハイパーテキスト、デジタルという道具によって変化した感覚が、テキストのオリジナル性を歪めていく機能を指摘しておりますが、ここは私も危惧しており、テキストを生み出す人間の大きな課題となるだろうことは目に見えております。
そして最後に指摘しておられるこの部分。
これからもし、ハイパーテクスト的な読み方が社会・文化において圧倒的な力をもつものとなるとすれば(ちょうど、技術メディアによる映像的・音響的な文化がそうであるように)、そういった読みのあり方、さらにはそれによってもたらされる文化のあり方を無視することはできなくなるはずです。こういった事態がとりわけ顕在化するならば、それまで絶対的な準拠枠と思われていたテクスト的な思考、テクスト的な文化のあり方に対して、疑問が生じることにさえなるでしょう。ハイパーテクストとポストモダンの「収束点」は、まさにこの根本的な点にあると考えます。コンピュータは人文研究のための有用な道具となりうるという側面を持ちながら、同時に、人文的な思考のあり方そのものを解体する可能性をももっています。自分の手の中にあると思っていたものが、その特性にしたがって、知らないうちに自分の立っている基盤そのものを掘り崩すことにもなりうるのです。これを電子書籍に置き換えるのならば、ハイパーテキスト空間で解体・変貌を遂げたオリジナルの欠片、これを一般的には「コンテキスト」と言いますが、この「コンテキストに電子書籍は対応できるのか」ということが、電子書籍をデジタルの中に置く上で見えてくる最終的な目標となることは言えると思います。
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