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NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感”
もはや「ドキュメンタリー番組」として「ドキュメンタリー性」が維持できないのなら、もうこの番組をお止めになられてはいかがでしょうと感じた。
取材する側に、公正な取材能力がないのなら、それは単なるシナリオ通りの「ドキュメンタリー風ドラマ」である。
これでは番組作りのために人を利用したと思われてもしょうがない。
そしてそれはドキュメンタリーを作るうえで取材者が絶対やってはいけないこと。
信憑性がなくなるから。
本当に悩んでいる人たちに対して、失礼極まりない。
私は札幌での座談会に出席させていただいて、「東京で長年仕事をしてきて、地縁が薄れ北海道に帰ってきた時には友達もおらず孤立しており、仕事もこちらではあまりなく、困窮している」という事情を持った男性の顔を今でもはっきりと思い出す。
悲痛で鎮痛で、眉間にしわがより、終始悲しみにあふれた硬い表情をしてうつむいて、目を合わせるのも辛いようでいた。
私はあの人の顔を絶対忘れない。
私も人と目が合わせられないような辛さ、自らのネガティブスパイラルを体験しているから、すべてとは言わないまでも、あの精神状態がどれだけ深刻なものかよくわかるんだ。
果ては自殺するかもしれないのに。
なぜ、ああいう人の気持ちを真摯に受け止めて、きちんとした取材ができないのか。
心底失望すると同時に怒りさえ覚える。
何に惑わされたのか。視聴率だろうか。それとも放送期日の締め切り?
放送日があらかじめ決まっていて、取材内容の充実を放送日まではかることができないのなら、無理に放送することはやめるべき。
それぐらいの勇気と真剣さがあってもいいのではないのか。
ドキュメンタリーの鉄則は、取材者が主観をさしはさまず、偽りのない事実のみで構成されるということだ。
なぜ、こんな結果にならなければいけないのか。
何が原因なのか。
もはや公共の電波で放送してしまったのだから、きちんと番組内で謝罪するべきだと思いますよ。
「無縁」を取材する番組で、人そのものを軽んじるなんて信じられない。
P.S.
http://getnews.jp/archives/99255
ニコ生視聴者の83.6%「無縁社会は他人事でない」
「無縁社会」取材のきっかけは何だったのか。板垣記者の場合は、ある件で取材していた失業中の50代男性と突然会えなくなったことだった。あちこち探してまわると、炊き出しのボランティアが「探してもムダだよ。もう『行旅死亡人』になっているよ」と言う。以後、板垣氏はネットで公開されている「官報」を調べるようになった。そこには身元がわからず引き取り手のない遺体、「行旅死亡人」の情報が記載されているのだ。「人間って最後は、官報の記事数行で終わってしまうものなの? と寂しさばかりが募った」と、板垣氏。この「無縁死」との関わりが、無縁社会を考える契機になったと語る元々の取材の原点はここにあるのではないのですか?
今一度自らを見つめなおして、ここへと回帰していただきたいと思う。
「自分は生きていてもしょうがない」という思いを抱かせないために、すぐにでもできることは何なのかを考えるのが一番大事なのではないのか。
ちなみに、ここでの意図的な偏向とは「無縁状態だとは思っていない人間たちを、あたかも無縁状態だったと報道していること」です。
あとは取材者と対象者との情報開示の取り決めになるので、番組内容での意図的偏向とは少し違うことを追記。
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