アンケートに答えた内容を転載。
Q.1
次々と明らかになっている高齢者の所在不明。あなたはどう思いますか?また、どうしてこの問題が起こったと思いますか?
1) 家族関係の変化
2) 地域のつながりの希薄化
3) 個人主義の行き過ぎ
4) 行政のサポート不足
5) 高齢者自身の貧困
6) 支える側の経済的事情
7) その他
A.1
1、の場合、既に家族がいないという場合もあります。いるのにも関わらず所在不明となるのは元々家族の間に何かのコミュニケーション不全があったと考えられるのが自然です。その延長線上で高齢者が孤立化することになり、子供たちは面倒なことを背負いたくないとも考えているのではないでしょうか。
2、の場合、地域が発信するものが少なかったりする。どういったコミュニティーが形成されているのか、そもそもコミュニティーそのものが存在するのか。流れて引っ越してきた場合、それらの情報を得る手段があるのかどうかは大きなポイントになるかと思います。これらの情報が得られなければ、その地域で何をしてよいのかもわからず孤立します。
3、の場合、個人主義の行き過ぎを非難するつもりは毛頭ございません。しかしこれ「ばかり」に力点が置かれ、個人と個人が隔絶される原因を作っているのなら大きな問題となります。つまり人間個人の力量や個人へのサービス、それらの恩恵を努力の成果において受けられるようになるのは大事なことですが、他者に向かってお前がそうなっているのは努力が足りなかったからだとか、きちんとやらなかったせいだ、とか言うのは、自らが社会で正当な評価を得られるシステムの中で生きているからこそ錯覚することであり、当然人間の生きようとすることへの機会は彼らが主張するようなものだけではなく、多様にあってこそ健全で柔軟性のある社会だと考えるので、もし何かが円滑に運ばずに滞っており、利益活動に貢献できない人間を社会の厄介者と見なすようであれば、個人主義の行き過ぎというよりも、既に現代病と言っても差し支えない社会性の欠如だと考えております。子の手の排他的思想が、個人主義の行き過ぎに当たるかどうかはわかりませんが、ある集団を支配するひとつの意識となって、孤独な高齢者など他人事と考えることもあります。当然、他人事ですからかまいたくもないですね。
4、の場合、予算が確保できないこと、人手の不足、法整備不足など色々と要因はあるかもしれませんが、ここらへんについてはあまり詳しくないので差し控えさせていただきます。
5、の場合、たとえばカード会社などの内情が少々こちらにも漏れてきますが、ギフトカードなどを買う老人が増えています。また支払いを年金でまかなっており、今度の法改正により限度額が一気になくなり焦げ付くケースも頻発しているようです。行旅死亡人のリストを見ると所持金が千円を切っているなど、相当過酷な内情がわかります。この社会は様々なサービスを受けるにも、まずお金があって成り立つようなものがほとんどですから、体が不自由になると車も使わなければいけなくなるかもしれません。それよりも明日の食費のために残りのお金を取っておくことを真っ先に考えるのではないでしょうか。よって、外になかなか出て行くこともなく、孤立していくことが考えられます。
6、の場合、私は一人っ子なので思うところがあるのですが、もし親が体を崩して介護しなければいけなくなった場合、やはり躊躇します。仕事と両立していけるだろうか、これが正社員だったら余計に考えるでしょう。介護に付きっ切りになったとして仕事がまた得られるだろうか。このご時勢一度仕事をやめたらあとがないかもしれない。そういうことは考え、自分の人生と親の命を天秤にかけて悩むかもしれません。もし自分の人生を少しでも安定させるほうを選ぶのならば親のことは涙を飲んで見捨てるかもしれません。
7、の場合、日本人には「他人に迷惑をかけたくない」という気持ちが現在の高齢者たちには強く、精神風土として他者に頼ることを嫌う傾向があります。自分のことは自分でという行動がやがて行き詰まり、孤立化を招き、誰も所在がわからなくなるということもあると思います。これは個人主義というよりも、他人の世話になることが申し訳ない、または他人のお世話になっても何もお返しすることができないという、ある一種の後ろめたさのような気持ちなのだと私は推測しています。
Q.2
あなたは、高齢者が孤立(無縁化)していると感じたことがありますか?
ご自身の経験や見聞きしたケースについて、高齢者、現役世代、あなたの立場から具体的にお書きください。
A.2
身近にいる高齢者で祖母がおります。
祖母は50代から水泳を習い始め、70過ぎほどまでコーチをやっていた元気はつらつの体でした。
しかし、メニエール、パーキンソンと病気を患い、現在は体も満足に動かすことができず要介護2を受けております。
前は近所交流がよく、周囲の人たちも窓から見える障子が少し開いていれば元気、そうでなければ何かあった、という具合に知らせることができ、毎日近所の人たちが見に来てくれたものでした。
またその地域には文芸誌もあり、短歌の投稿など文化活動を通しても活発に交流していましたが、文字も満足にかけず、体も動かずで、その土地を離れ、母がすぐにいける距離、札幌のマンションに引っ越してきました。
ヘルパーや介護士の方など週に何度か来ていただいてはおりますが、前のように近所の方と交流することはなくなってしまい、話し相手も少なくなってきたことから、急速に衰えを見せております。
また祖父も生きていた頃は急に脳梗塞で倒れ、半身不随となり呆けも進んできたことから祖父の妹がずっと付きっ切りで介護しておりましたが、これは幸運な例で、もし姉妹・兄妹いなかったらと考えるとどうなっていたかわかりません。
病院もずっと入院できるわけではなかったので、何かと苦労していたようでした。
ちょっとした違いで孤立するかしないか、すれすれのような気がします。
Q.3
高齢者の孤立(無縁化)を防ぐには、何が必要だと思いますか?
また、誰もが社会から取り残されないためにどうすればいいのか、アイデアがあればお書きください。
1) 家族の絆の復活
2) 地域での見守り強化
3) NPOなどの活動支援
4) 行政サポートの充実
5) 友人・知人など個人のネットワークづくり
6) その他
A.3
すべてです。いずれか一点に力を集中させるのではなく、すべてのネットワークが絡み合い、何かがもしダメになっても他の部分でサポートできる地域づくりが大事になるかと考えています。
その上で社会貢献することで「経済的なデメリット」や「行為における理不尽さ」が残ってしまっては、非常にネットワークの広がりが滞るとは思っています。
今まで「~だから」という理由で作っていた壁を壊して、自由に混ぜてみるような思い切った発想も必要になってくるかと考えています。
家族という問題につきましては、非常にデリケートな問題をはらんでいて、介入が難しい場合があります。
そのために教育、これは学校組織ではなく、昔でいう「私塾」のような場所、これが個人の本屋でも地域ボランティアが集まる何かの集会場所でもよいのですが、子供や大人が精神的孤独に陥っても、どこかでカバーできる組織を地域で作っておくことは大事に思います。
また、組織体が常に発信手段を得ていて、地域の人たちが常にその情報を得られるように発信受信のネットワークをきちんと作っておくことも大事だと考えています。
Q.4
最後に、高齢者の孤立(無縁化)について思うこと、日頃から感じている不安など、自由にお書きください。
A.4
私は一人っ子です。
私に子供ができなければ私の家はこれでおしまいです。
もし親が倒れた時、私は常に自分を優先させるか親を優先させるかで天秤にかけなければいけません。
白状のようですが今の社会で豊かな老後が保障されているとは到底思えません。
都会の人間は隣人のことを詳しく知らないし、老後になると新しい人脈もできずらくなります。
常に生きている限りは「新しい人脈ができるような場」が得られることが一番望ましいのですが、趣味も何もなければやはり孤立するだろうし、自分から早めに外に外に出て行かなければ黙っていても閉塞的になっていくのは目に見えています。
潤沢な資金がある人は結構ですが、もしなかった場合生活のことばかりに頭が働き正常な理性で物事を柔軟に考えることなど私は不可能だと思うのです。
そういう老人たちと現役で頭がフル回転している人たちとの思考回路はまったく違うということ。
経済活動に直接参加できなくなったリタイアメントの窮状は「利益がない」から関わらないのか。
問題は高齢者の孤立にあるのではなく、私たちが常日頃人と相対している、その心持の延長線上にあの孤立した老人の姿があるのではないか。
「誰かと誰かが繋がる理由」が、人間らしい自然的なものであって欲しいと願っています。
人の心を救うのは金でもシステムでもなく、人の心だと思っています。
[1回]
PR