私は綺麗ごとだけ言う人と、悪口だけ言う人は信用しないことにしている。
悪口はわかりやすいけれど、綺麗事言う人は経験上かなりもろい。
いつもあの豹変振りに「なんでだろ?」って思うけれど、心理的耐性がないのはこの「綺麗事言うタイプ」なのです。
自分を自己暗示にかけているのだろうか、自己実現したいことを他人に押し付けて同意を得たいだけなんじゃないかと思わせるようなもろさ。
本当に強い人は綺麗事ばかりは言いません。
どうしてって人間は汚いし脆いし、自分もその脆さで裏切られたり裏切ったりしているだろうから。
そういうことに気がつかないっていうのは鈍感だし、これは直しようがない。
まあ人間が人間を思い通りにしようとするのが、そもそも傲慢なのだけれど。
だからこうしてあれこれ言っていることも、ひとつの思い上がりなのであります。
綺麗事言う人は「上辺だけの好意」を示すのも物凄く得意。
リップサービスだけで、その言葉に本気の度合いはあまりない。
「時間が空いたら、気が向いたらやろうか」程度。
優しさっていうのは残酷なものだとまったくわかってない。
途中でやめれば恨まれるし、最後までやり通せば疲れる。
優しさっていうのは覚悟しないといけないのです。
なのに言葉にすがりつく習性がある。
だから鵜呑みにできないことがある。
実がないだけに。
通常社会生活を健全に営んでいれば、人間不信になるまで痛い目にあわないことが多いかもしれないけれど、人間の本性って特に欲望にまみれた時ほど醜くなる。
精神壊れるんじゃないかってくらい畳み掛けてくるし、容赦ないよね。
そういうところから目をそらしたい人ほど綺麗事言うような気がするのだけど、どうだろう。
綺麗事言われると、人間の悪い面を煽り立てることもあるってことは少し理解しておいたほうがいいかも。
私がそのタイプだもの。
綺麗事だけ言われると憎しみが煽り立てられる。
理解できない心理だろうけど、心理的に鬱屈したものができると、それを浄化できずに持っているし、結局それを与えられたのが人間そのものだから、人間の希望をとことん説いていくような姿勢に反吐が出るのね。
そういう人種も中にはいるのですよ。
そういう経験して直せない人も中にはいるのですよ。
綺麗事だけ言えばよいことばかり起こるような信じ方をしているのかもしれないけれど、その逆の可能性も起こることを覚悟してやって欲しい。
そこまでやれているのなら、ようやく信じられるかな。
たとえば自殺はいけないって思う人はたくさんいる。
自殺は個人を殺す行為のみならず、その人を信じていた人も同時に殺す行為だからね。
でも、それでも悩んでいる人は主観的に辛いのだから他人なんか関係ない。
自殺という手段があるから安心できる人も中にはいる。
ロープ買おうかなとか、どこで死のうかなとか、あれこれ考えて想像の中で何度も死のうとする。
だんだんエスカレートしかねない危険な妄想だけど、そうやって精神のバランスを保つ時もあるんだよ。
ホント嘘じゃなくて。
報道で自殺を細かく流すと自殺率が増えるという結果があるよう。
その報道をする代わりに助けてくれる相談施設を紹介するらしい。
すると自殺率が下がるんだって。
大人はお世辞をいっぱい言うけれど、そのお世辞を全力で行動してきた人って、たかだか短い人生だけど数えるほどしかいなかった。
それだけ少ないし他はリップサービスでしかない。
悲しいかな。そういうのって。
だからあまり人の話本気にしなくなった。
その代わり自分ができることだけコツコツやるようになったかもしれない。
自分にできないことはそう簡単に口にするべきじゃないんだよね。
お世辞とか綺麗事とか特に。
やたらと褒めるくせに、相手のことあまり知らないとかさ、ちょっと傷つく。
テキストでも読んできてるんじゃないのって思ってしまう。
生身の人が見えないのは私はダメだ。
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