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あさかぜさんは見た

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11/26

Tue

2024

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02/23

Sat

2008

※追記:今日のは読むだけ時間の無駄。

4人に1人くらい一般社会人の(マナーなど)研修を受け持つ教官は「常識」とか「社会人」という言葉を相当使う。
我々観察者としての作家の世界(芸術世界)には、「常識」なんてばかげた概念を植えつけてしまうと「創造」の段階になって大変なことになるので、捨て去る。

例えば、100人いたとして、2人がとてつもない非常識な人間になり、他は「常識人」だとする。社会人とか常識とか言う定義すらあいまいだが、微妙なものは除いて、それらが確実にくくっているものとしよう。

さて、問題。
2人の非常識な人間は、常識的な人間98人に阻害されます。
常識的な人間は98人もいるので、2人のことを阻害しても常識になります。
2人の人間はだんだん人間的に腐ってきて、人間を信用しなくなり、心が邪悪になっていきます。
そして最終的には、常識的な人間に激しい憎悪を抱くことになります。
ついに2人の憎悪の塊たる悪魔は「殺せるだけ殺そうぜ」と1人15人で合計30人もの殺人を犯しました。
何が元となって30人もの死者が出たのでしょう。
2人も殺されるから32人ですね。

作家っていうのは、この「根っこ」を見る。
それを見れないと「テーマ」にならない。
「その人間が殺した動機を作らせた何かがあるはずだ」ということだ。
ただ単純に「常識」とは見ない。
「常識的概念が絶対的に正しいと信じた人間の驕り」が非常識な人間を邪悪に育てたと見たほうがいいかな。
それよりもたぶん、非常識な人間の「生活できない恨み」。もっと言えば「飯の恨み」になるのかな。
「金の恨み」とか。
テーマをどこに絞るかは各作家に任せられるけれど、「自慢げに語られるものほどうさんくさい」「絶対的正義など存在しない」など、ひねくれてなきゃ作家ってできないと思う。

「人に迷惑かけません」とか、「一般人として常識」とか、「まともに社会人やりたい人」「人から嫌われるのが怖い人」は、私たちの領域には本当には踏み込めないと思う。

で、教官の話に戻るけれど、彼らが言っている「常識」とか「当たり前」とか「できなければ社会人として失格」というのは、とにかく「人を不快にさせないための最低限のレベル」から言っているわけであるが、変な人で、ある領域においての能力が著しく突出している人っていると思う。ていうかいる。
だいたい歴史に残る大天才って、日常生活レベルにおいて「なんだこいつ?」って単純に思われるほどの逸話が必ずある。

教官たちが言っている「当たり前」のことって、少なくとも「その仕事における常識」であって「人間としての尺度」ではない。
それを何を勘違いしたのか、「人間として失格」とまで言う人もいる。

正直言ってそこまでいっちゃったら、もう「病気」です。
自分の視野の範囲が著しく狭いことを暴露しているに等しい。

平均的な人間を育てることって簡単だし、普通教官に求められるのもそのレベルでしかない。
「接客業として失格」「社会人として失格」ならば、例えば影で社内環境が悪く、お前たちが日々職場で行っている強烈な人権侵害は、「文明社会に生きる人間として失格」なのではないか、と。
発展途上国にいる、高度な近代的文明を持たない原住民でさえ、他人を大切にする。
たとえば、接客業だとして、客を大事にして社員を大事にしないとか、どういう神経しているんだろうな・・・人間として(笑)って思う。

著しい人権侵害によって、深い傷をおったとなったら、証拠さえとっておけば、もはや「刑事犯」ですからね。
刑事犯においては、罪の大小なく罪は罪として「前科一犯」となるので、その前段階を行っている人間は、「犯罪者予備軍」になるわけだ。

・・・となると、「常識」すらも疑われる。
だいたいこういう病気の方は、「社会人としてのマナー失格」=「人間として失格」=「人間として役に立たない」=「人間として最低」と次々と連結させて最終的には人権侵害を行う。

まあ、長々と書いたけれど、結局最後にまとめると、「常識を盾に、他人罵倒しなければいけない理由」なんてどこにも発生しないってこと。

まだ何もやっちゃいないのに「この仕事に向いていない」とか、ちょっとミスしたくらいで「素質がない」とか、結局教官でさえも人間だから、「自分の好きな基準」でしか物事を見ていない。
まさにそれって「非常識の典型」だと思うのですがいかがでしょう。

いつも私が言いたいのは「自分が正しいと思っているやつほど危ない」ってこと。
「私間違えまくってるけど、どうだっていいじゃん」って開き直りすぎちゃうやつも危ないけれど。

あー、今日は頭悪そうな文章いっぱい書いた。
「ダメな文章」「悪文の典型」とか添削されそう。

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02/21

Thu

2008

いつでも子どもたちは大人が作った罰を被る。
それは時として子どもたちに責任がなくても罰を被る。

原罪も、これから犯す罪も、みな誰かが被る。
わざと傷つけることはないのだ。
子どもだって、叩かなくたって傷ついていくさ。
こんな時代だから。
汚い物だって見せ付ける必要もない。
教えてやるだけでいい。
いずれ見るのだから。

私は人を馬鹿にして笑いを取るお笑いに対して反吐が出る思いを抱く。
人を傷つけて人気を取る。
人を貶めて金を取る。同じことだ。

私は生きて来た中で多くの命を奪ったし殺した。
そしてこれからもそうなるだろう。
そういう命たちに対して創作する段階になっても、なお不必要に傷つけようとは思わない。

命を思って、命を抱く。
そうすることで、せめてもの贖罪をと思っている。

命を抱く。
それはおもしろおかしく命を扱うこととは分けなければならない。
いつでも命に対する敬意の念を忘れてはいけない。

誰を思うのか。
「国民」「視聴者」「読者」「お客様」
そういう単語を出す人間は偽善者か嘘つきだろう。
そんなものはどこにもいやしない。
誰が嘘つきにさせたのか、誰が罪をきせているのか。

不特定多数を表す言葉の中に、思いはない。
泣いているあの子、苦しんでいるおばさん、お金に困っている人、ドラマが好きな人、弱い人しかいじめない人、誰か、もっと限定された人がそこにいる。

仏を彫って、何をしたい。
もし、彫りあがったら、誰に一番に見てほしいのか、誰に一番届けたいのか、その人の笑顔や、その人の先を考えているのか。
向き合うというのは、届けたあとの誰かの気持ちを思うことだ。

危うく見失いそうになった。
このように危うくなることが何度もある。

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02/19

Tue

2008

どうして人は価値観だけで傷つけあわなければならない。
どうして人は優先順位を刃物のようにして、それで傷つけあわなければならない。

私はそんなことはもうたくさんなのに。
己の価値観を大事にしなければ、自分は壊れてしまうということを主張するまでに、なんと勇気のいることか。
それと同時に、己の価値観を潜めるばかりに傷つくものと、己の価値観を主張するばかりに他人を傷つけるものとの、ふたつの存在に気がついた。

なぜ、人は、人類は、このような繰り返しをしなくてはならないのか。

なぜ、人は、人類は、己の価値観に縛られなければ生活できないと考えるのか。

人間一代の一生は、叡智に満ちているわけではない。
人間一代でしか学んだ基準でしか物事を図っていないから、歴史的な教訓を忘れて過ちを繰り返すのだ。

私はそれが悲しい。
己の価値観に対抗するものに対して、断固たる態度を取らなければならないのが悲しい。

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02/19

Tue

2008

歴史に耐えうるもの

自分は100年200年耐えうるものはどういうものかということを常日頃考えている。
そして、それが真の芸術だと思っている。
自分のプロの定義とは「その職に対して震えるほどの恐れを知るもの」がプロたる定義だと考えている。
だからこそ、そこに謙遜の気持ちが生まれる。
職に対する本当の恐怖を知らぬものはプロではない。

私は、今小説を書こうとしている。
「小説を書く」という行為は、「現存している過去を誰もが見えないもので切り取る行為」ではないと思っている。
真の文学作品とは常に「未来を作るもの」であると考えている。
そして、芸術とは常に「未来を作るもの」であると考えている。

現代人は「人気」や「金」に左右される。
だが、そこに芸術的価値間や、歴史に耐えうるものを作ろうという崇高な観念はなく、すべてその場しのぎである。

私はここに真っ向から反旗をひるがえすことに決めた。
文章を書くことによって、人を見つめることによって、自分ができることとは何か、商業主義に翻弄されている企業ができぬこととは何かを、考え、そして何ができるかを考え抜いてきた。

作家になるとは「貧乏になれ」と心から決めよという人間がいるが、私は真に正しいものに金が流れぬならば、死んでもいいと思っている。

司馬遼太郎が言っていた言葉をおぼろげに覚えている。
それは、「革命」の定義だ。
第一に「理念を論じてそれに死す者」そして第二に「それを継承して行動し、挫折するもの」、そして第三にそれを教訓として「継ぐもの」・・・ああ、酔っ払っているからちょっと違うかもしれないけれど(たぶん、かなり違う)、私は第一段階の人間になってもよいと考えている。
私の理念と理想を継承するものが、それを成しえようと懸命に命を使う。
私は犠牲になる立場なのだと考えている。

私は、「己が生きるために命を使っている」のではない。
私は、「己がいかに人類に警鐘を鳴らしていくか」に重きを置いている。

私の生きる道、私の生きていかなければいけない道。

私は、日本人が見失った道を、少しでも照らしたい。
そして、人類が見失った道を、少しでも照らしたい。

それが、私の生きる運命。
そしてそれが、私の芸術を作る理由。
「歴史に耐えうるもの」

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02/18

Mon

2008

138回芥川賞 「乳と卵」



文藝春秋で最初読んだのですが、初回読んだとき、読みづらくて読みづらくて、まるでマシンガンでしゃべるおばちゃんの話を聞いているみたいで、最後のほうで最初に言ってた話ってなんだっけと思いながら、文章も頭の中にしっかり入らず、読み終わってみたときには、「結局どんなことが書かれていたんだっけ?」と思いました。

慣れるまでとても時間のかかる文章です。
大阪弁でよくしゃべるおばちゃんを相手にしているみたい。
大阪の人だと、饒舌な文章もしっかり入ってくるのでしょうけれど、私は初回ではダメでした。
結局二回読んで、しっかり話の仕掛けが読み込めたところ。
豊胸手術というものが目に付きすぎると大事なことを見落とす。
三人が重要なキーをつかさどって話は進む。

石原慎太郎がとても酷評していて(というよりも、興味ないという感じ)で、酷評したことも後悔することはないだろうと断言している。
私は女性の知り合いから「よいけれど、女性しかわからないかも」と言われていたので、じゃあ読んでみようかと購入したのですけれど、仕掛けが読み込めれば、それぞれの絡みあいがよく見えてきます。

私は女性ではないので、全部は理解することはできないけれど、話の中に対比があって、その対比がぶつかり合っている仕掛けがとてもおもしろい。
育っていくものと、衰えていくもの。
女性は女性だけで成り立ちうるのか、いや成り立たせなければならないだろう、でもどうなんだ、という主題が私には見えた。
それが話の中で出てくる主人公を含めた三人の中に見え隠れする。

でも、ちょっと・・・時折殺伐としている。
現代人っぽい乾いた価値観がある。
いや、ちょっと違う。
乾いた視点と言ったほうがいいのだろうか。

話し言葉のような文章の饒舌さの中に乾いた視点が見え、それがあいまいなぬくもりを与えている。

当初、噺家が話す落語のようなキレがあるかと思いきや、それはない。
浅いといえば浅い。
だが何もないかといえばそうではなく、相当読者側の受け取り方に文章をぽいと渡すような感じだ。
だからモチーフや象徴物が多くて、この話自体は、ほとんど何にも突っ込んではいない。
突っ込んで掘り下げるのは、読者そのものになる。
だから読む人によってはなんの感動もないし、なんの広がりも持ちえない。
本が読者を選んでいるのではない。
読者が完成させる本だ。
そう思うと「女性にしかわからないかも」という知り合いの言葉も納得できた。

仕掛けに満ちた本だと選評にもあるが、キーポイントをきちんと拾い上げなければ、ただのどこにでもいる女の話になる。
男性の方は注意されたし。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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