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あさかぜさんは見た

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02/10

Sun

2008

スーパーの苦情コーナーを眺めると、アンケート用紙に「あの人がああやっているので気分悪いです。モラル守ってください」とある。
それだけならまだしも、言いふらすとか、お客様のこと考えてくださいとか、まあまあよくも恥ずかしげもなくこんな傲慢なことが書けるなと思うわけであります。

そもそも「モラル」とは「個人の行動規律」のことであって、「他人がどうこう」という問題ではない。
常に「私がやる」か「私がやらない」かの問題になる。

つまりだ、例えば、

「あの人が悪いことしているからこうした」

「あんなやつに言われたって説得力ないし、やる気しない」

というのは、もうすでに「個人の行動規律を個人以外の理由を上げて、実行しない」ということだから、もう「モラルがない」ということになる。

そもそも店の人が「お客様」とか言うのはまだしも、客自身が「お客様」というのは、自分のことを「私様」と言っているのと同じくらい滑稽だ。

金を払っているからって、そこに上下関係が成立するわけでもなんでもないのに見下したようなことを言う客もいる。

お前の主従関係は金で成立するのか。
金もらっても会社に忠節を尽くさないくせに。
ふざけるな、と。

そもそもサービス業とは、「奴隷のように主を満足させるために尽くす」ことではない。

最近の行き過ぎた企業や一部の客の風潮には、どうにも納得しかねる。

企業がへりくだりすぎてもいけないし、傲慢になりすぎてもいけない。
同じ目線に立つには、どうすればいいのか一生懸命考える。
これが大事なのでは?

あえて言うならば、お店と言うよりも、個人の問題なのだけれど、凄い無愛想な人、「お前の人生そんなに病んでいるのか。何があった」と問いたくなる。

ただ闇雲に「怒れば事が済む」と思っている人が多いから、俺だけは理由を聞くさ。
時間があればね。

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02/10

Sun

2008

秒速5センチメートル



だから俺は「執着すること」を捨て去ったのだよ。

新海誠は、大人のドロドロしたものをろ過するフィルターを持っている純粋な子どもなのだろう。

栃木は自分にとって、本当に思い出深い場所で、アニメに出てくるシーンには疑問を持つところがある。
那須高原までいかないと、本当に雪がない。
内地だからだ。
私は、冬に宇都宮に二度、行ったことがある。

ひたすら寒いだけの印象があった。

隙間風が部屋に流れ込み、限られた灯油で、生活費の心配をしながら暖房に火をつける音大生。

この自分の栃木での物語は、表面化して書くにはあまりのも問題がありすぎるので、思い出としてずっととっておくつもりだ。

宗教と人間のことを考えた。
必死にその子を理解しようと努めた。
でも、自分で耐えられなくなって崩した。
崩れる前に崩した。

男だけが過去に対してセンチメンタルな想いを持っていることが多い。
それは男のエゴなのだろうか。
俺は女の優しさは、あえて「期待を持たせない」「決着をつける」そういう現実感にあるような気がしてならない。

いや、男も女も、それぞれの人生がある。
そして、道が分かれたとき、接点を絶ったほうが、お互いのためだと思うのは、ケジメのためなのだろう。
象徴的に、思い出に決着をつけることで、ようやく新しい場所へ踏み出す。
人はそうして大人になっていくのだろう。

自分もやっているクセして、当たり前のやり取りに、どうしてだろうな、耐えられないときがある。

大人は汚れてしまう。
でも俺はもっと愚かしいと思うのは、己が汚れているクセして、他人の汚れを許せないことだ。
俺は最も憎憎しいと感じる。
他人の汚れを笑い、己がどす黒く染まっていくことにも気がつかないのは、己があざ笑っている対象よりも、もっともっと劣っているからに他ならない。

大人が愚かだから、子どもが愚かしくなる。

俺は子どもに夢を与える大人にはなりたくはない。

俺は、子どもたちを苦しめたい。
寄り添うつもりもない。
考える機会をたくさん与えたい。

純粋に、育てていきたいだけだ。

もうそうするしか、俺の未来に広がる空虚を埋めることができない。

時として母となろう。
時として父となろう。

俺なりの愛情を、示してやろう。

新しいものを育てていかなければ、俺は今まで犠牲にした、これから犠牲にするであろう数々のことに、示しがつかない。

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02/08

Fri

2008

Я・K works satie piano albam



あれれ?絶版になってる。高値ついてる。
今でも時折聞く、サティーのピアノコレクション。
昔どこで見たのか、深夜の番組で、日本のB級映画をやっていた。
女の子か忘れたけれど、廃墟の中マシンガンで人を撃ち殺すシーンでサティの「ジムノペティ」が流れて、他の音は一切なくスローで人が死んでいくのが印象的で覚えている。

サティの曲は昼には聞きたくはない。
夜に、しかもほどよく酔っ払いながら聞くのがいい。
すると静寂の中の陶酔感にどこまでも落ちていける。

サティーの音楽には感覚を麻痺させるような奇妙な感じを受ける。
だからお酒に酔うと、余計にそれが感じられて楽しいのかもしれない。
静かでゆるやかな楽しみ方だ。
はしゃぎもしない、落ち込みもしない、すっと伸ばされていく感じだ。

刺々しくないものの特長を説明するのはとても難しい。
輪郭が鋭敏だとか、音が斬新だとか、まったくそんなことはない。

ただノスタルジックなフィルム映像が浮かび上がる。
ごくごく自然でありふれた家庭の映像で、果樹や草が窓からずっと広がっていく。
変な感じ。

そう、例えていうならばサイレント映画にも似ている。
沈黙の詩が、音の中に無数に潜んでいる。

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02/08

Fri

2008

風通しの悪いところは必ず腐る。
嫌な臭いがしだすのさ。

だから常に風通しのよさを心がけている。
それは、外の風をふんだんに入れるということだ。

名誉や権威なんてものは、文字通り犬も食わない。
犬にとって大事なのは、かわいがってくれて、飯をくれる主人だ。
だから忠節を尽くしたいと思う。

こんなこともできないのかと叩かれて育った犬はやがて人を噛む。
恨みを持ち獰猛になった犬は殺されるのがオチだ。

犬はなぜ自分が殺されるのかもわからないだろう。


風通しが悪いと人間が腐る。
本当は勘違いだらけの内向的な奇人が、脳内だけで発酵しつくしたものを芸術だと声高に叫ぶことほど危険なことはない。
皆、病院へ行ってほしいと願うことだろう。
発酵は進みすぎると、とてもじゃないが食えたものではなくなる。
やはり犬ですら食わなくなる。

勘違いが世界を救うことはない。
常に科学のみが世界を救う。
観察と推論と実験と結果。
常にこの繰り返しでしかない。

自分は正しいと思っているものこそ、すでに悪の領域に足を踏み出している。
なぜなら、人の思い込みは常に間違いを引き起こすからだ。
真理はあっても、真に人がそれを掴むことはない。
わかったふりをするだけだ。

風通しをよくしよう。
皆、常識を持ち合っているから、逆に皆が非常識なのだということを知ろう。
私が常に己に命じなければならないこと。

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02/08

Fri

2008

芸術とチップ制度

「制度」というのは語弊があるけれど、いわゆる「楽しむもの」に対してアメリカのように人々が満足した分だけチップを払うという文化が日本にあってもよいと思う。
電子出版での値段をつけるとき、原稿用紙30枚に対して200円、プラス1話につき100円と、他の方から見て類を見ない高値で売り出している。
中には原稿用紙500枚で500円という方もいる。

たいした才能もないのに、こういうのは気が引けるが、才能を安売りしたくはない。
そして、例えばネットで販売するから紙媒体よりも安いという発想をして欲しくはない。
そこには、「紙にするよりも、電子書籍のほうが物理的に経費がかからないから安いはずだ」という発想がある。
それは、芸術に対しての発想ではない。

現代人はまずお金の観点からものさしを用意する。
有名作家よりも高値で売り出す素人作家に当然買い手は嫌悪感を抱くだろう。
「なんだこいつ。調子に乗ってるな」
そういう見方をされるのがオチだ。

買う。
たいしたことがない。
しかも高かった。
ムカツク。
そういうことが多くの人はあるかもしれない。

日本人の多くは、「実力がなければお金に恵まれてはいけない」という意識がどこか強くある。
そこには「文化芸術を応援しよう」という発想ではなく、「お前が一人前になるまで金はビタ一文払わない。ひたすら精進しろ」という職人的発想に近いものがある。
私は後者の意識を、前者へと変えていきたい。
多くの人が寛容に芸術と言うものを受け入れ、「ああこいつは将来性があるな。しっかりと育ててやろうじゃないか」というぬくもりを持てば、もっと多様な創作物や文化活動ができてくるような気がする。

その中で、本当に残るものは0、01%すらもない。
訴えたいことがある、やりたいことがある、それは自己満足ではない、誰かに何か大事なものを贈ってやろうと心底思っている。
そういうやつは成功すると思っている。

若い芽を育てる。
その場一瞬だけでも楽しませてくれたら、それに感謝する。
人に対してのあたたかい気持ちがチップ文化に繋がると勝手に思っている。
人間、確実に体感できる成果がないと、気力がなえる。
そういう生き物なのだ。
少しでもお金が入る。
明日はもう少し稼いでやる。
そのためにはもっと技術を上げなければ。
そういう意識が、いずれ大きな果実を宿すに違いないと思っている。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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