屋根の裏側の一角が壊れていて、その穴の中から雛の声が聞こえる。
何の鳥なのかと思っていたらスズメだった。
一体どんな姿をしているのか見ることはできないし、どうにも屋根を修復するのも気が引ける。
この前生えていた三つ葉を食べてみたけれど、本当に三つ葉でよかった。
初めての体験はいつも緊張する。ましてや間違えると食中毒も起こすものに関しては、もはや「お腹が痛くなってきたらハズレ」という感覚だ。
どれだけスーパーのものに慣れきっているか、ということなのだが逆に誰かが懸命に作って誰かが運んでお店まで陳列されないと、当然スーパーにはない。
様々な過程で「毒を選別する人」がいて、この大きな社会は最終的には毒気も味気もない世界になろうとしている。
何でかって、飲食店でさえ、もう大根が辛いとなったら大根おろしを水にさらすくらいの処置をしている実例があるのだから、何でもかんでもクレームを聞いていると行き着くところは、そんな味気のない世界なのかなと思ってしまう。
ほとんどの人は毎日殺生して生きている。
殺生しているはずなのだが、別に意識もしないで生きている。
意識しなくていいように、動物の肉等の処理は自分以外の誰かがしてくれていて、殺菌までやってくれる。
意外に食だけの話じゃないのかもしれないと思っているのだけど、兎にも角にも「自分以外の命をあまり真剣に意識しなくていい社会」で生きている。
毎日ニュースが流れてきて政治や事件にやきもきしているかもしれないが、実際に我が身を犠牲にして他者のために動こうとする人など、見ている中では、まずほとんどいない。
わりと、自分のことで精一杯。
私自身も自分のことで精一杯。
余裕がなくなってくると他人に愚痴を言いたくなるし、何かよくない感情がムクムクと煙のように昇ってくる。上手く換気をしないと心の部屋が煙で見えなくなるほどになる。
スズメは勝手に育ってくれるからいいけれど、邪魔をされたらイライラするに違いない。優しいかのようで実は「自分の邪魔をされていないから」だというエゴの中でしか優しさを持ちえない。
面倒な事は嫌だし、積極的に人は助けたくない。
困ったことがあったら言いなよ、とは人に言うけれど、ほぼ社交辞令だ。
ハッキリ言って、酷い。
まったく、なんて適当な人生だ。
でもある意味自分に対しての適当は結構好きなので、ゆるく生きていきたいが、だけれど時間はない。
自分のやり遂げたいことをやるには、少し時間がなくなってきている。
それでも、スズメの声を聞いたり毎日植物を気にしたり花を見たり、自然の流れの中に少し戻れている瞬間があって、このまま目に見えない流れを心の中に覚えさせておきたい。
子供のような感覚を少しでも取り戻しておきたい。
そして毒気を身につけておく、というわけだ。
子供は純粋ゆえに辛辣ですからね。
毒をよく知ることは解毒もできる。
それが本当の命ある生活だと思うから。
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