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あさかぜさんは見た

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11/23

Sat

2024

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08/16

Wed

2017

安定思考とは逆の生き方

自分は己が得た利益の一部を誰かに還元しようといつも考えている。
それは食事であったりものであったり行為であったり。
でも一度やったらすっかり忘れるようにしている。
自分の手を離れたものは、自分のものではない。
だからたとえ奢っても恩着せがましく思ったことはないし、忘れるからどうでもいい。
その行為が一体何になるのかはわからない。
じゃあ意味のない行為なのかと言ったらそうじゃない。
何かが実るかもしれないし、実らないかもしれない。
大人になってくると友達が少なくなる。
友達もできづらくなる。
友達を探すためには自分から何か与えられるようにしなければいけない。
世の中にはすぐに見返りを期待する人が多いけれど人間関係ってハッキリ何かがでるほど理路整然としていない。
普通多くの他者は自分のコントロール可能な、かつ自分の利益に反しない生き方を選んでいく。
奢ったらそのことをだいたい覚えているし、何かしてあげたら見返りが欲しいし、理不尽な事は避けたいし、自分が慣れ親しんだ行動の中で色々な事をやっていきたいと自然にやっている。
だからこそ自分の利益にならないこと、一見自分には関係ないことを押し付けられると不満を持つし、その行動を避けたいと様々な手段を使ってくる。
逆にこの心理を逆手に取ると相手の地金がわかる。
不安定で一見何の利益になるのかわからない行為、かつ誰かに対して利のあること。
皆万人のために生きることを拒絶しているが、何かのために生きようとはしている。
その「何か」が見えるのが自分の利益を逸脱した行為の中に見える。
変化を作る生活をしていると、自分と関わった人を介して色々な価値観が入ってくるようになる。
距離を取るべきかそうじゃないか。
一緒になって何かができるのかどうか。
全ての人とは絶対に仲良くはできないが、上手くやることはできる。
その距離の取り方は、やっぱり自分の感触の中で確かめないといけないけれど、毎日同じ生活して人生経験ってそれほど積み重なるものじゃないからこそ、自分のためにも変化のある生活を目指している。

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08/13

Sun

2017

僕はいまだにちょっと理解していないのが「名刺交換」という風習。
どうせ覚えていないのなら何故名刺を交換するのだろう。
明らかに「この人自分の職業とは何も関係ないだろうし、自分のこともどうせ忘れるだろうな」とわかりきっているのに交換し合う。
名前を口頭で言って自己紹介して忘れられるくらいなら、お互いその程度の存在なのに何故なのだろう。
何故交換するのですか?
後で虚しい紙くずになるだけなのに。
僕はこの風習好きじゃないです。
物書きなんて特殊なことやってると余計に感じる。
ほとんど名刺ってチラシ程度にしかなってないってこと。
名刺配られました、相手のこと力説されました、それで?
食事に誘ってくれて、あなたとお友達になりたいんです。あなたのこともっと知りたいんです。そんな人、まずいなかったよ?
皆無だった。
だったら何のためにやってるんです?
その名刺と同じような薄っぺらな関係性を保つだけでやってるんでしょうか。
誰か教えて欲しいよ。アレが何であるのか。
チラシ以上の何の効果があるのか。

ちなみに自分は関係性を持ちたい人とは自分から可能な限り積極的に行動していってるし、これからもそうするつもり。
そこには別に名刺や肩書きや職業なんて関係ないものね。

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08/13

Sun

2017

この数ヶ月間何していたんだっけ。
調理技術を高めるためにバイトしていたんだっけ。
成果と言えば、出し巻き卵を少しだけ上手く巻けるようになった。
これが大きな成果。たかが出汁巻き卵と言ってもとても難しい。
そして肉の焼き方が少しだけわかってきたこと。
そのくらいだろうか。
何も書いていない。
ようやく書いているのがこれ。
酷い有様。
ただ、子供たちにちゃんとした料理を出すという目標と、芸術家たちが集まるような飲食店を作るという目標があるけれど、あとどれくらいここにお世話になろうか。
パスタも勉強したいし、中華もやりたい気持ちがある。
さて、どこで切り上げようか。
まだあともう少し練習しないと出汁巻き卵は完璧にならないし、スピードの中でもふっくらして、かつ出汁がふんだんに含まれている焼き方がマスターできるまでまだまだかかりそうだし、もう少しだけ技術を学びたい気持ちがある。
またここも変な風になってきていて経費は抑えたいし人件費はカットしたい。現実問題人減らしたら店が回らない。書類上労働時間に入れない労働が多く発生している。社員が休みがない。長時間労働。飲食あるあるだけど、結構滅茶苦茶になってる。
文章を全然書いていない。
創造力が削られている。
バランス取れるものってないのかな。
時間が過ぎるのが早い。
植えたものがどんどん育っている。
もう寒くなりだしている。
ストレスが溜まっている疲れている。なんとまあ、書いていてよくないなと思う。
ひとつ、またひとつ。
塵のように積み重ねては、またひとつ。
何かが進んでいるのだろうか。
何か積み重なっているのだろうか。
全部捨ててしまいたくなったり、暴れたくなったり。
溜まったものはふわふわ浮いている。
時間が過ぎるのが早い。
カクヨムは前から知っていたけれどライトノベル形のサイトだとわかっていたから避けていたけど、アカウント作って文章を引越しさせようかと思っている。
それくらいかな。
疲れたが口癖になりつつある。

https://kakuyomu.jp/users/asakazehikarino/works

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06/03

Sat

2017

道具と意思

年齢的に、じい様の出刃包丁がある。しみそばかす顔中に広げたじい様のようなものだ。
こいつは最初だいぶ錆だらけだったんだが、磨くとそれなりに元に戻った。
鋼鉄製となれば、かなりのものだし素人の磨きなので完璧というわけにはいかない。
所々錆なのか傷なのか凹みがあるし、根元はさすがにやり辛い。
せっかくあるのだし、見た目の酷さは取れたが、なんせ、このご老体は、かまってやらないと腐ってくる。
錆は広がるし、刃の部分にも怪しい色が滲んでくる。
だがご老体、使ってやると、どうにも過去の栄光を思い出すのか、妙にぞっとするような光を放ちだす。
丁寧に毎回布で水気を拭ってやり、トマトがするりと切れる程度に歯の鋭さを保つ。
銀というよりも、淡い水色のような光沢を身につけだすので「あんたは結構凄いやつだったんだな」と褒めながら使っている。
一方農具となると酷い扱いだ。
今度使うからと外に放りっ放し。
よくばあちゃんに「大事に使いなさい」と言われていたのを思い出した。
泥をきちんと落とし、草の汁を水で洗い流して、水はきちんと乾いた雑巾で拭いて。
そうすれば長く使えるんだと。
農具なんて土をいじらなければ意味を成さないし、ほとんどお荷物に成り下がる。
だけれど土をいじりだして心の中で「常に関わっていくもの」だったり「大事なもの」になっていくと、それらのお荷物は突然「必要で手放したくないもの」に変わっていく。
こういう感覚のシフトについては、全て日常の何気ない行動一つにかかってくる。
特に道具に関しては、ほぼ自分の意識を反映していく代物だ。
それが包丁であろうと農具であろうと文字を扱う文章であろうとお金であろうと、自分が手にとって身の一部として扱うものに関しては全て感情や意識を映し出していく。
わかっているようで、どうにも忘れがちになる。
使わなければ錆びる。
大事にしなければ錆びる。
人と同じような「ステージ」において充分に能力を発揮できるように、事前に準備を必要とするのが道具であって、そこに道具があるから何かが機能したり開けていくわけではないのだと、じい様出刃包丁をみて、しみじみ思う。

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05/29

Mon

2017

そこに命のある生活

屋根の裏側の一角が壊れていて、その穴の中から雛の声が聞こえる。
何の鳥なのかと思っていたらスズメだった。
一体どんな姿をしているのか見ることはできないし、どうにも屋根を修復するのも気が引ける。
この前生えていた三つ葉を食べてみたけれど、本当に三つ葉でよかった。
初めての体験はいつも緊張する。ましてや間違えると食中毒も起こすものに関しては、もはや「お腹が痛くなってきたらハズレ」という感覚だ。
どれだけスーパーのものに慣れきっているか、ということなのだが逆に誰かが懸命に作って誰かが運んでお店まで陳列されないと、当然スーパーにはない。
様々な過程で「毒を選別する人」がいて、この大きな社会は最終的には毒気も味気もない世界になろうとしている。
何でかって、飲食店でさえ、もう大根が辛いとなったら大根おろしを水にさらすくらいの処置をしている実例があるのだから、何でもかんでもクレームを聞いていると行き着くところは、そんな味気のない世界なのかなと思ってしまう。
ほとんどの人は毎日殺生して生きている。
殺生しているはずなのだが、別に意識もしないで生きている。
意識しなくていいように、動物の肉等の処理は自分以外の誰かがしてくれていて、殺菌までやってくれる。
意外に食だけの話じゃないのかもしれないと思っているのだけど、兎にも角にも「自分以外の命をあまり真剣に意識しなくていい社会」で生きている。
毎日ニュースが流れてきて政治や事件にやきもきしているかもしれないが、実際に我が身を犠牲にして他者のために動こうとする人など、見ている中では、まずほとんどいない。
わりと、自分のことで精一杯。
私自身も自分のことで精一杯。
余裕がなくなってくると他人に愚痴を言いたくなるし、何かよくない感情がムクムクと煙のように昇ってくる。上手く換気をしないと心の部屋が煙で見えなくなるほどになる。
スズメは勝手に育ってくれるからいいけれど、邪魔をされたらイライラするに違いない。優しいかのようで実は「自分の邪魔をされていないから」だというエゴの中でしか優しさを持ちえない。
面倒な事は嫌だし、積極的に人は助けたくない。
困ったことがあったら言いなよ、とは人に言うけれど、ほぼ社交辞令だ。
ハッキリ言って、酷い。
まったく、なんて適当な人生だ。
でもある意味自分に対しての適当は結構好きなので、ゆるく生きていきたいが、だけれど時間はない。
自分のやり遂げたいことをやるには、少し時間がなくなってきている。
それでも、スズメの声を聞いたり毎日植物を気にしたり花を見たり、自然の流れの中に少し戻れている瞬間があって、このまま目に見えない流れを心の中に覚えさせておきたい。
子供のような感覚を少しでも取り戻しておきたい。
そして毒気を身につけておく、というわけだ。
子供は純粋ゆえに辛辣ですからね。
毒をよく知ることは解毒もできる。
それが本当の命ある生活だと思うから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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