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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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02/01

Wed

2012

みんなで決めるゲーム音楽ベスト100常連曲集〜工事中〜

ゲーム音楽には埋もれた名作がたくさん。
ちょくちょく暇を見つけては整えます。

Part1



Part2



Part3



Part4



Part5



Part6

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02/01

Wed

2012

創作は楽しめない

自分の欠点はよく気が散ることだ。
書くにしても一日千字から多いときは一万字まで書けるが安定的な字数は四千ぐらいだと把握している。
周囲が楽しそうにしている時に、もくもくと書いていかなければいけない。
寂しいというよりも、イライラする。
どうしてイライラするのか。

きっと注目して欲しいという感情がある。
誰かが楽しそうにしていると自分だけ取り残されているような虚無感。
あとは、ちびちびしか進めない状態・自分の能力にも苛立っている。

ちやほやされたいし、凄いと言われたいし、いや、よく考えたらお世辞はいらないわ。気分が悪くなる。
それよりも目の覚めるような体験・刺激を受けたいというのが本当の気持ちなのかもしれない。
それさえあれば、毎日ワクワクできるような天才たちに囲まれていれば本当に幸せな毎日がおくれる。
自分の感情を掘り返すのにわりと苦労するのにその点西村賢太さんは凄いもんですわ。

自分は自分の感情に嘘をつき取り繕って生きようとしているのがよくわかる。
こういう濁った感情では、いざ表現するとき非常に困るのですね。
変な状態で鬱屈した感情が文章にうっすらと乗る。
思うように文章が書けなく詰まる。
西村さんとは歴然とした差を感じるし、まだまだ純度が足りない。

西村さんに「理想の女性像は」と聞くと「そりゃもちろん、おっぱいが大きく、腰がくびれ、アソコが臭くない」と答えるぐらいなんですから、手も足もでないところにおわしまする。

夢とかロマンとかいいますが、こういうものは命一つ、人生一つ賭けないと掴み取ることはできない、というのが持論。
創作は辛いものだけど、出来上がったとき自分に得るものがあるんだよな。

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01/30

Mon

2012

世界のスマートフォン ユーザーの利用動向調査 日本は6%

http://www.ourmobileplanet.com/
去年のデータで少々古く、年末を越えた今年はどうなっているのかは不明。

自分たちが今どこで商売しようとしているか、という現状認識は必要で、まだ数の面からいっても電子書籍を売り込める体制が整っているとは、とてもじゃないが言えない。
タブレットや電子書籍リーダーの普及台数がいかほどなのか日本国内での細かな数値が見つからないが、私たちが思っているよりかは少ないのかもしれない。
大きな所ならまだしも、小さな勢力が勝負できるのは依然としてガラケーと呼ばれる旧式の携帯プラットフォームだけれど、その携帯もいずれは買い換えなければいけない。
各会社の新商品携帯がほぼスマホなのを見ると、徐々に数値は移行してくるのだろうとは思うが、まだまだ苦情が多くガラケーのようなシンプルな使い勝手のよさは実現していない。
人間は選択肢が多くなればなるほど、そのどれをも選ばないという傾向がある。
ミニPCのような多機能の携帯電話に慣れるまでは時間がかかるだろうが、使っていればそこそこ慣れてくる。
しかしすべての機能を理解して使っていけるわけではない。
ここで、機能そのものに取り残されていく人と、機能に慣れて使いこなせる人間の二種類が出てくるだろう。
ガイド本が売れることになるだろう。

まだまだ私たち電子書籍販売側はアプリやネットにおける電子書籍を「どう扱ってよいのか」という疑問は取れないままだ。
紙の本のままの考えの人。紙とはまったく違う捉え方をする人。電子ならではの「更新」に着目しリアルタイムとソーシャルを兼ね合わせ、かつ読者と我々が笑顔で手を固く握れる場所を模索している。
「いずれは本は無料になり、ガイドにお金を払うようになるだろう」という記事があったが、もしここまで来てしまったらコンテンツは活性化されるがコンテンツ製作者は地獄を見る。
我々芸術家はスポンサーの手を離れ、空想の翼を伸び伸びと広げながら自由に創作に力が注ぎ込める環境を夢見ている。
そんな環境、ありはしないとわかっていても夢想せざるをえない。
それがまた大きな力関係に圧迫されて創作の力がねじ曲げられるのかと思うと、もはや金と芸術の上下関係は逃れられぬ因果なのかと落胆してしまう。

私たちは「鑑賞者」の立場になったとき、非常に優位な立場から見ていると錯覚しがちだ。
調理された数々の食材を「料理」という形で目の前にすれば、あとは自分なりに味わうだけなのだ。
だからこそ多くのものを見落としているし、見落としているものを料理人がウンチクをたれるのは客商売として最も愚かなことであると理解している。
このジレンマの中で私たちは新しい時代に沿った芸術的な方法を模索していかなければいけない。
そして、私たちの実力がきちんとした目によって導かれることを常に望んでいる。実際、運に左右されることがあらゆる状況から鑑みて、わかっているにも関わらずだ。

日本でのアプリ利用率はダントツであるという。
ガラケーの時代からそうであったように、携帯電話をいじりながら、テキストやソーシャルでの「声」を受発信したい、楽しみたいという欲求は変わらないだろう。
だからこそ端末普及率は電子書籍を扱う私にとっても注視していくべき数字だし、商売をしようと画策している人たちにとっても本格参入と展開を目論む上でよい材料になる。
私たちは自分たちで思っているよりも、他人には伝えていないし、他人のことを知ろうとしていない。
コンテンツを作っても、その魅力を充分に伝えられているか、その前に引き出せているのかと言ったら「NO」なのだ。
読者に伝える前に、最も熱心で客観視できるファンは自分自身であらねばならないのに。

いい大人が集まれば未来の話をしているようで、結局お互いの秘密を話せないまま、意味のない状況分析と今後の傾向を話し合い終わってしまう。
シンプルな問題として、自分たちが扱おうとしている、開拓しようとしている場所では何をすればみんなが楽しめるようになるのか、ということに絞られるのに。

電子書籍元年と言われた去年は船を漕ぎだし陸地を離れようとしたに過ぎない。
陸地が見えなくなり不安感に囚われ、海の上ではやっぱり商売ができない、人がいないじゃないか、帰らせてくれ、と情けないことを叫んでいるのと同じだった。
そして今年は何も見えない大海原で新大陸を見つける作業に追われるだろう。
来年ようやくたどり着いたそれぞれの陸地で、自分たちの王国を築いていく勢力が現れるだろう。
本当はいけないことなのだが、今私はお金のことはある程度抜きにして腕を磨くことに集中しようと考えている。
もちろん作品は書くし、実験を繰り返しながら様子を見ていくけれど、大事なのは他人ではなく、自分の手数の多様さに尽きるということだった。
何か手応えのないとき、「何らかの準備が足りていないからだ」と考えるようにした。
そのしっくりこない感覚は情報の欠乏かもしれないし、状況の貧困さかもしれないし、準備不足かもしれないし、己の実力のなさかもしれないし、教養の欠落かもしれない。
やがて「電子書籍戦国時代」と言われるようになったら、勝手に「天下統一」の実力を持ったものが台頭していく。
私たちは各々の戦略を胸に秘めながら、他を出し抜いて吸収する機会をうかがうことになる。
結局は才能の評価をいかにシンプルに魅せるか、ということが読者に伝える上では重要になりそうだ。
そして最も優れた君主は才能と努力の対価を臣下に示せるものになるのだろう。

ここについてのヒントは、数多く転がっているように思う。

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01/24

Tue

2012

田中慎弥氏の芥川賞会見について

西村賢太氏の時も非常に印象的だったが、今回の田中慎弥氏の会見では非常に学ぶものが多かった。
略歴を見れば田中氏が偏屈な感情を持つ理由もよくわかる。
私も作り手だから、本当に自信のある作品をいくつかすっ飛ばされて今回の受賞となったら、「何を今更。この節穴ども」と罵りたくなるだろう。

田中氏は長州人だから、江戸の人間に選ばれて「はい!本当にうれしいです!」だなんて爽やかに会見したんじゃ、長州人としての気質が疑われかねないと思っていたが、どうやらあの会見は素らしく、あとで折れたと聞いてちょっと残念に思った。

しかし何よりも今回の会見で大きな学びを得たことは、生意気でも小賢しくともふてぶてしく無礼にしたほうが、メディア露出が増えるということだ。
そして何より人の印象に残る。
作家なのだから作品で印象に残せよ、という意見もあるだろうが、そもそもあの賞は「商業的な賞」なわけであり、名誉とか実力とかよりも、文学的なお祭りとしての神輿担ぎであることは少しでも文学を噛んでいる人には言わずと知れたことなのである。

今回芥川賞は二人受賞しているが円城塔氏に比べれば田中氏のメディアでの騒がれようは圧倒的な差がある。
真面目に会見した方よりもふざけている方が騒がれているのだからバカらしいことこの上ない。
文学賞の中でもNHK、全国紙、メディアに堂々と流されるのは芥川賞と直木賞しかない。
ましてや芥川賞は「新人に」という趣きが強い賞である。
だいたい地位がある程度固まっている直木賞作家とは違い、「賞を取っても明日の命がわからない」のが「芥川賞」なのだ。

これらのことを考慮すると、手段を問わず強くキャラクターを印象づけた方が勝ちなのだと見ながら感じたのだ。
読者やファンというものはせいぜいいっても100人に1人の割合でしかつかない。
これがほぼ文学の最大値だとしたら、100人に出会うよりも千人。千人よりも百万人。百万人よりも一億人に出会う方が圧倒的に作家としては勝利なのだ。
その意味でもテレビに映ったのなら「江頭2:50」並のギリギリさで、派手なパフォーマンスをしたほうが株があがると私は見た。
嫌う人間は嫌えばいい。最初から人格で作品に入る人は、まず読まない、読み込めないと判断した方がいい。淡い期待を捨てて狡猾に、一度切りのお祭りを最高に演じてやったほうが、あの場面では勝利なのだ。
作家はテレビで勝負するものではなく作品で勝負するものなら、もう二度とテレビに出ずともよいという覚悟でいくらでもぶちかませばいいのだ。
あとは作家としての実力で勝負していけばいいだけの話。

作家の価値をあげる最初の砦は「入り口の大さや広さをいかに確保するか」にかかっている。
これは自分で展開していてよくわかってくることだ。
まず興味を持ってもらって読んでもらうまで引き込まなければいけない。
そのためには色んな意味で露出を多くしなければいけない。
この最初の段階を効果的に展開するには最も大事な席でテレビに映ってふざけたように振る舞い印象づけた方がいいに決まっている。

そんなこんなで、万が一にもあの場所に立つ日が来たのなら、せいぜい派手に振る舞ってやろうと心に誓ったのである。
「ああ、もらってやるよ」ぐらいの勢いでなっ。

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01/23

Mon

2012

無意味なジョブズ論

死後畳み掛けるようにアップル創業者のスティーブ・ジョブズに関する本やあちこちでの論考が出ているのですが、そもそもおかしいなと感じるのは結果だけ見て、どう学ぶかという姿勢は何か違和感を感じるわけです。
ジョブズは誰かの手のひらに収まるような人間ではなかったからこそ、これだけ世界に対して影響力を持ったのです。
つまりですよ、今の日本企業の体質や考え方や組織構造、人間に対する扱い、すべてが「第二のジョブズ」の誕生を拒んでいるわけです。

そうは思いませんかね。
私世界屈指の芸術都市を作ろうと思ってますけれど、「何こいつ」というぐらいのレベルなんですよ。一番初めって。
ほとんどの人間が夢を叶えずに挫折して消えていく中、その夢破れた人間達が考える夢のような発想をさらに上回るバカさ加減で思い描いているのですよ。
そういう人間を迎合できますか?せいぜいバカにするのがオチでしょう。

すべてのものが個人の手の平に収まるような考え方に集約され、ものの見事に「名前を借りた一般的文言」に成り下がっている。
イノベーションというのは今の発想をぶち破るってことじゃないでしょうかね。

日本で例えるなら日本を五つの小国家に分けて連邦制にする。
これぐらいの発想がイノベーションというのですよ。

そもそも何を論じても現在の保守的かつ閉鎖的で「常識的」な考え方では、いくらジョブズから学んでもジョブズのような人間は生まれないし、ジョブズのような仕事もできないのです。
そう思いますけど、何をしたいのでしょう。
天才的な仕事をしたいのなら、今ある常識をことごとく無視して、一ミリでも進んだ感動を提供しなければいけない。

発想そのものが夢にあふれているってことは、まずは採算度外視じゃないといけないのですよ。
というより最初から金との折り合いを考えながら発想するものに、ろくなものはないってことですよ。
「無理だ」「不可能だ」「バカらしい」を実現させるための突拍子もない発想をしていくのがイノベーションだと思うのですけれどね。

腹が立つのですよ。正直言って。
結局ジョブズを研究しても目の前のジョブズの卵はきっと無視する。
今の発想をすべて自分で否定できない人間にジョブズのような考え方はできないし、ジョブズの卵を見出すことはできないし、ましてやジョブズになれるはずもないのです。

私はね、将来人類はミステリー小説を書けなくなると思いますね。
なぜならすべてコンピューターが組み立てて人間よりもおもしろいミステリーをシミュレートして作り上げるから。
あと私は将来のビジネスはバーチャル空間上での商談を含め、わざわざ出張などしなくてよいところまで行くと思いますし、薬品開発はスーパーコンピューターがしてくれるし、ナノマシンは細胞のテロメアを修復するし、テロと呼ばれるものはナノレベルで発生して人体に影響を及ぼし、神はより脳神経へと直接届くようにヘッドギアをつけてスコープで覗けるバーチャル体験型になりプログラム上で聖戦が繰り返されるだろうし、戦争は人工を減らし経済を支えるマネーゲームをするための手段となり、人間の幸福は通話内容履歴・ネット文章・公文書などなどから計算された言論空間で完璧に制御されていくだろうし。
想像できます?こういう世界。
これが私たちの生きている間に実現可能になると想像できます?
そしてこれにすぐに着手しましょうか、と考えるのがイノベーションなのですよ?
まあ、犯罪レベルのものも入ってしまいましたが、金を稼ごうという発想じゃこんなこと考えられない。
俺が人間の生活や価値観を変えてやるんだ。お前たちのスタンダードは俺の発想でもっと幸せで素敵なものに変わるはずだ、と毎日わくわくしてなきゃいけませんよ。

できますか?

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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