ネットゲームの話をしたので少しそこでの話。
私はゲームが好きだけれど、「飽き性」という欠点があり、同じ作業を何度もはできない。
だから最初どんなに面白くとも変化がないとモチベーションが続かない。
もしかしたら「飽き性」という性格がなければ、廃人になっていたかもしれない。
ここでは「廃人」と言っているが、本当の廃人はもっと酷い。
掲示板も管理していたことがあるので、炎上、つまりギルドのメンバーがマナーに反する行動をし、ギルドの掲示板に次々とクレームの書き込みが殺到するという状態を経験した。
そこではログを取っていて逐一どのIDが入ってきているか監視していた。
とくに匿名でできる掲示板だと「工作員」と呼ばれる「余計な情報や煽りで話をそらし、感情を逆撫でして、怒ったところの揚げ足を取る」という人たちがいたので、IDはきちんと見ておかなければ策にはまるからだ。
そのログでは掲示板に書き込んでいる当人は朝方から昼にかけての6時間ぐらいがすっぽり空いて、すべての時間掲示板を見ているというぐらい執着していた。
もちろんゲームも起きている時間ずっとやっている。
ネットにのめりこむ人間は執着心が強く器量が狭く自尊心が高い傾向がある。
月に何万も注ぎ込む重課金者であり、さらに莫大な時間を費やしてキャラクターを強くしているのだから、それなりの精神的な見返りを強く求める。
例えばこれが会社だと仕事して十分な働きを得た分だけ直接的にわかる形で報酬や見返り地位などが欲しくなるが、ゲームだとシステムに則ってわかりやすい形で見えるので、そのらへんの精神的な充足感を得やすい。
廃人とまでいく人間とこじれると、結構自分でルールを決めているなどして、様々な自己解釈をぶつけてくるので厄介な存在でもある。
しかしながらゲームといっても、そこにひとつのコミュニティー空間ができているのだから、従来では考えられないような人のつながりかたもできてきている。
オフ会と呼ばれる現実での集まりや実際に会う人々などがいる。
私のやっていたゲームでもゲームがきっかけで出会い、実際に結婚している人はいた。
ゲームと割り切ってある程度の距離を置き、きちんと時間管理の上でゲームをするのならゲームで済むのだが、中には現実空間よりもネット空間の比重が高い人がいる。
私も精神が荒んでいるところからネットに拠り所を求めていたので、気持ちがわからないまでもないが、健全な人が不健全な生活にまで落ち込むと、ちょっとまずいよなとは思う。
というのは、ゲームをするのではなく、ゲームに振り回される、ゲームその物に自分のスケジュールが管理されるという逆転の状態になるからだ。
韓国などでは実際に殺人が起こるほど「廃人」と呼ばれる人がたくさんいて、社会問題にもなった。
昔ウルティマオンラインが出たときは、わざわざ会社を辞めてまでゲームをする人も現れたそうだ。
最近は聞かなくなったが、やはり廃人というところまでいってしまった人はいるのだろう。
今は「おかしい」という感覚で見られるし、きちんと現実で五感を使って生活している人に取っては理解できないコミュニティーであることはわかるが、私はこれから先もっとネット社会が浸透してバーチャル空間が作られるようになれば、バーチャル空間にのめりこむ人間はそう珍しい数ではないほど増えると考えている。
今ネット化データ化がどんどん進んでいて、情報がどんどん管理されていっている。
知らず知らずのうちにデータを利用され、管理され、個別のサービスに特化している。
そこでさらに登場するのがバーチャル空間だと考えているが、未来の話なので今はちょっと置いておく。
ネットに比重を置いている人間に取って「リアル」と「ネット」と区別している。
「リアル」は現実空間のこと。
「ネット」はネット空間のことなのだが、既に「リアル」よりもネットの方が生活時間の大半を占めているので、正直「ネット=現実」だと言っていい。
そこである種の錯角も起こる。
ゲームだと分かっていながらも精神的な没頭をして、そこに様々な感情を投入したまま引き上げられなくなったり、むしろ辛い現実から逃げられるので、そのバーチャル空間に自分の居場所を見出してしまうなどがある。
こうなってしまうと、結構「廃人」は近くて、もう理屈では引き上げられなくなる。
どんな理屈も辛いだけになってしまい、余計にバーチャル空間にのめりこむ要因を与えてしまうということになる。
私は中学生まで携帯電話を持たせることに反対の立場だ。
というのも、携帯電話を使わなければコミュニケーションが成り立たないというのは、普通の状態ではない、不自然過ぎると考えているからだ。
といっても、今や携帯電話に限らずゲーム機はネット通信を備えているものも多く、バーチャル世界での遊びの場所は拡大していく一方だ。
逆に携帯電話がないと、はたまたゲームがないと、コミュニケーションを取れないばかりに、陰口いじめのターゲットになったりと、ツール一つないばかりに仲間と「共有意識」が持てないというところまで来ている。
ここに書いてあることが「変だな」と違和感を持つのなら、もうちょっと古い世代か、古い感覚の人かもしれない。
未来はもっとこの状態が進むのか、それともあくまで自然的な状態の中でさじ加減を持っていくのかは我々、というかお金の流れ次第だが、ゲームという場所ではなくともネット上では様々なところでコミュニティー空間ができてきている。
そのコミュニティー空間を使って商売をするなど、新しい話ではなくもう10年以上も前からの話なので目新しいことでもない。
後はゲームというシステムがつくのか、それとも別のシステムがつくのか、という話なのだ。
さて、問題になるのは映画の「マトリックス」の世界ではないが、匂いもなければ感覚もない、心だけが存在する世界で、正常な感覚は育つかと言ったら、もちろんそうではない。
実際子持ちの人が廃人っぽくなっている状態も目の当たりにしているし、大学生などが一日中ネットをしているなどざらにあった。
こういう生活は健康にも精神的にもよくない。
遊びの範疇で収められるならよいが、のめりこむ人は自制心がないからそうなってしまうのであり、現実での居場所よりもネットでの居場所が心地よいからそうしているのである。
現実よりもネットの空間に安心感を求めるのは、奇妙な感覚ではあるが一種の宗教的な信心にも似た感覚に陥る。
キャラがあってRPGならばその名のとおりロールプレイができるのだから、理想の自分を実現できるし、現実よりも確かに居心地がいい。
今やほとんどのオンラインRPGは結婚システムを導入しているので恋愛だってできるわけだ。
でもやっぱり、現実よりもネットの方が比重が大きくなり生活がそれに振り回されたり管理されるのはおかしいんじゃないかと思う。
膨大なチャットログに会話は流され、ゲームの終了とともにデータは消え去る。
残ったものは会ったこともない人間の絆で、これも100人いたら10人も残らない。
つまり生産性が著しく乏しいのだ。
何も創造していない。
ただ消費しているという状態だ。
一度ハマってしまうと理屈で引き上げるのは難しい。
そして嫌だと思うことをするのは引き上げるどころか執着させてしまう原因を次々に与えてしまう。
なのでもしネットにハマるなどしたとき、最後の手段になるのは、その状態を認めてあげて、そこでの話をとことん引き出してあげるしかない。
当然ネットを切断して人情沙汰になった事件もあった通り、人生のほとんどすべてになっている人間からネットを引き剥がすのは逆上を誘うだけだ。
よいコミュニケーション方法を与えるのは年上の仕事であって、年下の仕事ではない。
きちんとコミュニケーションが取れないのなら、それは年下のせいではなく年上の能力が乏しいからだと考えている。
もし身内に廃人を抱えてしまった場合、常日頃のコミュニケーションがものを言う。
一度も否定後を使わないで会話をなりたたさなければならないので、高度な技術、忍耐力を伴う。
今は突拍子もないようなこの話も、やがて未来には身近な話になるだろう。
願わくば、突拍子もない話のままであってくれるとよいのだが。
追記:
リアルネット廃人から復帰した人のログまとめ見つけましたのでどうぞ。
http://hamusoku.com/archives/577276.htmlこっちは廃人生活で家庭崩壊の話
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-539.html[1回]
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