「前にできていたのに、できないから言ってるんだよ。これでも十分の一だから」
二時間ほど、作った声劇のギルドのメンバーに説教を受けて、ぼんやりしながら聞いていた。
そう、今の私はその十分の一すらも頭に入ってきていない。
言ってくれた人は、かつてゲームで私がマスターとしてのびのびとやっていた時を知っていた人。
「時間が経つとこんなにアホになるものなの? ほんっとイライラするんだけど。もう言わないからね」
正直、今の自分は昔の自分じゃなくて、日常に捉われていて、自分のことに捉われていて、「彼女」のことに捉われていて、疲れていて頭が回っていなかった。
シナリオ作らなきゃいけない、新しい環境を作った、成果を出さないといけない。
じゃあ、何を見逃していたのか。
「人」そのものだ。
お前は人を集めたのに、無責任すぎるだろ、ということだ。
自分だけ頑張っていても、それは「人を集める意味がないよね」ということだ。
人は自分の容量の中で懸命にやっていると、とにかく自己弁護を用意しがちで、「今の自分の限界はこれだから!」と声高に「自分のテリトリー」を主張する。
つまり、自分以外の人にとって「言い訳」と判断されるような内容だ。
一生懸命やっている。
努力をしている。
これからやろうとしているのに。
自分はこうだから、しょうがないんだ。
そんなことを言葉で懸命に怒気をはらみながら主張しがちだ。
多くの人はそうなのだろう。
昔の私だって必要がなかったから、本当にいっぱいいっぱいすぎたから、今の自分は一生懸命なんだ、と主張していた。
さすがに、この年じゃあ、さすがに、「自分の限界を超える」と宣言した後じゃあ、現状維持やましてや劣化するなんて目も当てられない。
無様そのものだ。
昔は真面目に働こうなどとも思っておらず、一日を自由に使えたから余裕が持てた。
今は半分だけ社会生活をしている人にようやく近づいている。
「それさ、みんなやってることだから。みんな食うために働いて、それで時間作ってるから」
まあ、特殊な環境に自分はいて、「創作」のために非常に理想的な環境が準備されている。
ああ、自惚れてもいいぐらいだ。
今までの私は「テリトリー」を懸命に守ろうとしていた。
しかし、ようやくその「テリトリー」にこだわっていては、誰かもう一人でも抱え込もうとすると、その人を不幸にすることを理解した。
だからこそ、変わろうと決意した。
そして呼び寄せたのが、今の状況。
口頭で説教されてようやく少しだけ目が覚めつつある。
昔の感覚を少しだけ思い出しつつある。
ああ、そうだ、昔の自分は今の自分じゃなかった。
「過去から学ぶこともあるだろう」
それを認識していたのは自分だったのに、いつの間にか見失っていた。
おそろしや、おそろしや。
「捉われ」の中に落ちていく自分。
そしていつの間にか、その「捉われ落ちた場所」を「自分の限界」と思い込む自分。
おそろしや、おそろしや。
「人はその時必要な言葉しか吸収しようとしない」
自分で言った言葉だが、それすらも忘れ去っている。
これを「成長」というのか、とても怪しいが、今「テリトリー」を放棄することを試みている。
大人になると、とても人生は楽しい。
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